武見太郎氏が危惧していたのは、医師が診療報酬点数の高い方へ群がり、下がればそこから逃げ、本来やるべき医療をしなくなる、いわば“診療報酬の奴隷”に成り下がることだった。

「医師会員の3分の1は放っておいても勉強して進歩する医学についていき、国民に還元する。3分の1は指導者によってどちらにもいく。残りは『欲張り村の村長』である」

武見の予言どおり
診療報酬依存に陥った

 武見太郎氏は、金勘定に忙しい開業医を批判し、本人は、一生涯自費診療を貫いた。東京・銀座にあった武見太郎氏の診療所では、患者が自分で決めた診察料を支払う仕組みだった。

 しかし、彼は欲張り村の村長でも儲け主義でもなかったようで、診療所には、「次の人はすぐに診察します」と書かれた項目の最初に「特に苦しい方」が挙げられていたという。

 私の祖父は皆保険制度の実現によって貧しい人にも医療を提供する人類愛を唱えていたが、60年以上経ってみたら武見太郎氏が言っていることの方が、より正しかった。病院や診療所を経営する医師たちは、正に診療報酬に振り回され、その奴隷に成り下がっている。

 皆保険制度導入に猛反発した医師会の会員の大半を占める一般の開業医、そして病院は、いまや、公的保険や税金から支払われる診療報酬がなければ経営が成り立たない状況になっている。

 武見太郎氏が一貫して言いたかったのは、「患者を治せ、点数なんか後だろう。それが医者の本分だ。報酬はその後にご随意に頂くものだ」ということだ。

 私の祖父の千代丸と武見太郎氏の医療に対する考え方の根っこにあるのはヒューマニズムで、方法論は異なるが、振り返ってみると2人の考え方には共通点も多い。

診療報酬のために看護師を増やすも
すぐ厚労省からハシゴを外される始末

 日本の医療の行く末を案じていた武見太郎氏の予言は見事に当たり、病院経営者も開業医も、一般的には2年に一度改定される診療報酬点数に翻弄されている。