写真を切り刻むという
「死の準備」

 ホルガーさんの家族が母親の癌を知ることになったのは、主治医がうっかり漏らしてしまったからでした。手の施しようのないステージだったため、本人の希望で基本的には自宅で過ごしながら、通院と往診、短期入院で治療することになりました。

「母が亡くなってから専門家に聞いてみたんだけど、自分の死期が近づいていると悟った人の中には、『この世とお別れをする人』が一定数いるそうなんだ」

 つまりホルガーさんの母親にとって「写真を切り刻んで捨てる」という作業は、「自分自身をこの世から切り離す」という行為だったというのです。

「離婚する時、パートナーとの思い出の品々を捨ててしまう人がいるよね。母はまさにこの世と『離婚』のように別れようとしていた」

 2009年、母親は77歳で亡くなりました。臨終に立ち会えなかったホルガーさんは、父親から「母の最期の言葉」を聞きました。

「なぜ私はこんなに苦しまなければならなかったの?」(“Warum musste ich so leiden?”)

「亡くなるはずのない
手術だったのに」

 ホルガーさんの父親は心臓に持病を抱えていたものの生活に支障はなく、ホルガーさんがドイツに一時帰国した時には、自ら運転する車で空港まで迎えに来てくれたほどでした。

 そしてホルガーさんの滞在中、父親は簡単な手術を受ける予定でした。危険性もなく、数日で退院できるとのことだったのに、手術当日、ホルガーさんのもとに、付き添いの人から電話がありました。

「お父さんが、手術の最中に突然亡くなってしまった」

 86歳と高齢ではありましたが、突然の死です。悲しみに打ちのめされたホルガーさんですが時間は待ってくれません。病院の「死者の部屋」(トーテンラウム Totenraum)〔註★:家族などの関係者が亡くなった人とお別れできる部屋〕で最後の時間をもった後、様々な手続きに追われました。

 まず「簡単な手術」の最中に死亡したために解剖が必要となり、それに4週間かかりました。お葬式はその後になります。結局、ホルガーさんは予定を延長して5週間ドイツに滞在し、200人も参列した大規模な葬儀を執り行いました。