ドイツのお葬式は、まず教会で葬儀をし、その後親しい人のみで教会の施設やレストランで食事をする流れです。この食事会のことを南ドイツでは「死体の饗宴」(ライヒェンシュマウス Leichenschmaus)と呼びます。ちょっとびっくりするネーミングですが、泣いたり悲しんだりするのは前半の教会のミサや葬儀の時で、「死体の饗宴」では故人の思い出を語りながらみんなで楽しい時間を過ごします。ホルガーさんもこうして父を見送ったのです。

「誤解を恐れずに言えば、『絶妙なタイミング』(Gutes Timing)に感謝したよ。父が亡くなったのが、僕がたまたまドイツにいた時で、本当によかった」

 最後の最後まで見送ることができたこと。空港からのドライブでゆっくり話ができたこと……。その時、父は「死ぬ時はぽっくりいきたいよ」と言っていたのです。

 突然亡くなってしまったので、病院の手術のことも含めてあれこれ後悔はしていました。でも時間が経つにつれてホルガーさんは、「手術中に突然亡くなったのは、父親の希望通りの『ぽっくり』の死に方だったのかもしれない」と思うようになったそうです。

「突然死がいい」と
口をそろえるドイツ人

「死は突然がいい」と語るドイツ人は珍しくありません。

「死ぬこと自体は怖くないけど、長く苦しんで死を待っている状態になるのが嫌」という意見なのです。今回のインタビューで「どう死にたい?」と質問をするたび、ドイツ人は全員「準備の期間はいらない。楽しく生きて、死ぬのは突然がいい」と口をそろえました。

 なかには「脳梗塞がいい」と具体的に病名をあげる人も(実際には脳梗塞での死亡率は1割ほどですが)いたほどです。日本にも「ぽっくり死」を歓迎する声はありますが、ドイツ人のように病名まであげて「突然死がいい」と話す人はあまりいない気がします。

 ホルガーさんもこう言い切りました。

「僕は死ぬこと自体は怖くないけれど、予期せず死にたいな。死の準備の期間は必要ないよ。準備期間が長いと考える時間が増える。つまりネガティブなことを考える時間も増えるわけだよね。突然あっさり亡くなった父と、余命宣告された母の最期を思うと、死に向き合う期間がありすぎるのは、やっぱり不幸だという思いがあるのかな」