
CXが進まない構造的背景と打開策を探る本シリーズ。前編では、CXが製造業で進まない4つの理由と「広義のデザイン」活用が突破口になることを紹介した。後編では、実際にデザインの力で圧倒的な顧客体験を生み出した電動モビリティ「WHILL(ウィル)」の開発事例を紹介する。「乗りたくない車いす」を「乗りたくなるモビリティ」へと転換したプロセスについて、開発に関わり、CXの創出に取り組んだ346(サンヨンロク)共同代表の菅野秀氏が解説する。
車いすの不満は「機能」じゃなかった?
ユーザーの声で気付いた意外な壁
デザインを活用して優れたCXを実現した事例として、著者自身が開発メンバーとして参画した電動車いす「WHILL(ウィル)」を紹介します。
開発のスタート当時、メンバーがまず取り組んだのは「車いす」の再定義でした。従来、車いすとは不自由を補うための「福祉機器」であり、機能性や介助性を中心に設計されるものでした。しかし、「モビリティ(移動手段)」という視点で見ると、車いすも車や自転車と同様に、移動の体験そのものを快適にし、「もっと遠くへ行きたい」という気持ちや、日常の楽しみを生み出す存在であるべきだと気付きます。そこで、開発チームが目指したのは、車いすを「その人らしく移動する」体験そのものとしてデザインすることでした。
購入前:“選ばれる”ための乗りたくなるデザイン
まず注目したのは、車いすに対する「乗りたくない」という世間一般のイメージでした。
開発初期に実施したユーザーインタビューでは、多くの人が「段差に弱い」「小回りが利かない」など、機能面への不満を口にしました。これらは一般的に、工学的な改良やテクノロジーによって解決されていく課題といえるでしょう。
しかし、インタビューを重ねるうちに、もう一つの重要な声が浮かび上がってきました。それは、車いすの「イメージ」に対する不満です。従来の車いすには、「病気」「老い」「制約」「弱さ」といったネガティブな印象が付きまとい、ユーザー自身もその視線を気にして外出をためらうようになるというのです。実際には、歩行が困難なだけで、心身共に健康なユーザーも多くいます。そうした人々にとって「かわいそう」と見られることは、むしろ不本意な経験となります。
この車いすに乗ることに対する心理的なハードルを取り除くために、WHILLのデザインにはこれまでの車いすとは一線を画す意匠性が取り入れられています。また、製品の見た目だけでなく、その位置付けとコミュニケーションにもこだわっています。「パーソナルモビリティ」「近距離モビリティ」「新しい移動体験」など、「乗りたい」と思わせる伝え方を何度も模索しました。また、展示会のブースの作り方からウェブサイトの文言一つに至るまで、「これは“福祉機器”ではなく、“かっこよく自由に移動できるモビリティ”である」というメッセージを一貫して表しています。