小学生のころから父親の暴力を受けていた。それが当たり前だった。身体的虐待がこのころから始まっていた。中学生になると父親とは距離をとり、ほとんど話をしていない。でも、父親に対してアンビバレントな感情があった。

「父親には理解してほしいんです」

 父親のことは大嫌いで怖い存在だが、嫌いになりきれない。

 虐待された子どもは、人の顔色をうかがいながらも、加害者を遠ざけられないことがある。嫌いになりきれなかったりもする。振り向いてほしいという感情もあったりする。

 ただ、晴男がその関係性を見直そうと思っても、父親は自営業で、晴男が中学生のころには、朝起きたときにはもう家を出ていることがほとんど。夜は午後11時過ぎに帰宅するのが普通。生活のリズムが違うため、会話することもままならない。

 母親は、父親の会社の事務を手伝っていた。筆者は1度、母親に会ったことがあるが、真面目でもの静かな印象の女性だった。

「父親からの虐待のことを母親に言うと、『放っておきなさい』と言うくらいでした」

 高校生くらいになると、父親も晴男と会話をしたいと思っているのか、晴男が遅く帰宅すると、「高校生は早く帰ってくるもんだ」と注意する。しかし、父親が酔っ払って帰宅するときは、機嫌が悪い。理不尽なことを言って、晴男を殴る。その反面、優しくする場面もあったという。

「虐待の後遺症」が生み出した
“最悪の結末”

 実は、そんな父親の行動様式を晴男自身が身につけてしまっていた。虐待や暴力は連鎖するともいわれているが、晴男の場合、連鎖の矛先は、同級生の彼女サチコ(仮名)だった。

 サチコも晴男との関係に悩んでいたが、自身も、人間関係の構築が苦手だった。人に悩みをうまく伝えられなかった。

 晴男はサチコに、インターネットにメンタルヘルス系の情報が多いことを伝えた。すると、サチコはその世界にハマっていく。自らサイトを作り、人間関係を広げていく。その関係に晴男自身も参加していく。

 あるとき、晴男から筆者に電話があった。

「『死にたい』って言えなくなってしまったんですよね」

 彼はもともと、「死にたい」という言葉を使いながら筆者に悩みを相談することが多かった。