文化の違いを学ばなければ
本当のマイノリティ支援にならない

 主に欧米圏の話になりますが、20世紀の後半から精神医学や心理療法などのメンタルヘルス分野では、女性や性的マイノリティ、有色人種など、社会において周辺化され、低く価値づけられてきた人々から「支援によって傷つけられた」という声が上がるようになってきました。

 メンタルヘルスの専門家が適切に実施したつもりの支援によって、どうして支援された人が傷つくのでしょうか。

 そこには、支援する側と支援される側の文化の違いがあります。

 多くの場合、メンタルヘルスの専門家は社会のマジョリティ(多数派)に属し、メインストリームの文化を担っています。そのため、提供される支援のあり方はメインストリームの文化に最もよく適合するようにできています。

 たとえば、メインストリームの文化では、家族や親戚が経済的に頼ってきても、自分の権利をしっかり主張して、相手の要求を斥けることが自律した健康な大人として適切なことと判断される傾向があります。

 しかし、マイノリティ(少数派)の文化に属する人の中には、それを適切だとは感じない人もいます。

 文化によっては、家族や親族のそうした要求を斥けると、コミュニティ全体からわがままで恥知らずな奴だと見なされる場合があります。このように、何が健康で適切なことで、何が不健全で不適切なことかに関する感覚には、文化によって左右されるところがかなりあるのです。

自分の中だけの正義を
押しつける人が多すぎる

 もちろん、何が健康で適切であるかについては、ある程度共通した普遍的な基準もあるでしょう。その一方で、文化的に規定されている面もかなり含まれています。そして、何が普遍的な基準で何が文化によって規定された基準なのかは、容易に見分けることができません。

 人は自分が所属している文化において適切とされているものを、ごく自然に普遍的に適切だと感じてしまうのです。