両者が合意できる妥協点が見出されることもあるでしょうし、両者の判断に隔たりがあることが確認されることもあるでしょう。たとえ合意が得られなくとも、互いに考え方の違いが理解できることで、何らかの形で前に進む可能性が拓けるはずです。
相手を論破しようとする前に
自分が間違っていないか自問自答を
相手を言い負かすことや、自分の主張を通すことを目指すのではなく、互いの考えや気持ちを十分に理解し、その上で何がベストなのかを総合的に考えて妥当な結論を出すことを目指しましょう。
そのときに必要なのは、自分の考えが本当に正しいと言えるのか、もしかすると相手の言い分の方が正しいのではないか、自分の考え方には盲点があるのではないか、と批判的に検討する姿勢です。

検討した上で、やっぱり自分が正しいと思えるような場合でも、その検討する視線自体が、すでに視野の狭い偏ったものではないかと疑ってみることができればなおよいでしょう。
常に自己の正しさを疑い、自分を顧みながら実践する、さらにはそうして顧みている自分自身の視点の正しさを疑い、顧みている自分自身の視点をも顧みながら実践する。このような実践のことをアメリカの哲学者ドナルド・ショーンは「省察的実践」と呼びました。
自分に正義があるという揺るぎない思いに依拠してブチギレている人には、それが正義の名の下の暴力になっていないか、よく検討してみて欲しいと思います。
真の正義は、自らの正しさを常に深く疑う姿勢、省察的な姿勢を求めます。それは威勢のよい必殺技や論破ではなく、ためらい、問いかけ、傾聴、熟慮などを特徴としているのです。