選手の裏金事情まで
大声でバラしてしまう
ヤクルトに、片岡宏雄という名スカウトがいた。
立大ではミスタープロ野球・長嶋茂雄の1年後輩。現役時代は捕手で、1959年(昭和34年)に中日入団、2年後の61年(昭和36年)にヤクルトの前身である国鉄へ移籍も、63年(昭和38年)に現役引退。その後、産経新聞と夕刊フジで野球記者として活動していた時期があった。
つまり、片岡から見れば、私は同じグループ会社出身の後輩になる。球場で取材に伺うと「おー、お前か」と何かと目をかけてくれ、食事にも連れていってもらった。
そんな時に、片岡が披露してくれるのは、いわゆる表に出ない、記者的にいえば“書けない話”の連発になる。しかも実名トークだから、周りの観客が聞き耳を立てていないか心配になるほどだ。
1990年代のドラフト逆指名時代、契約金の最高標準額1億円、プラス出来高5千万円は有名無実化され、裏金の存在がまことしやかにささやかれていた頃の話だ。
「おい、あの選手、契約金なんぼやったと思う?」
大阪・浪商高(現大阪体育大浪商高)出身だから、ばりばりの関西弁で聞かれる。金額を言うのも生々しいかと思い、指を出して「これくらいですか?」と恐る恐る返答すると「ちゃうちゃう、もっとや」。仰天の金額をぶち上げて「ホンマ、ウチには到底出せんよ」。ネット裏なのを忘れて「えーっ」と、つい大声を上げてしまったことも度々だ。
2003年のヤクルト退団までの30年近いスカウト歴。プロ野球の表も裏も見続けてきた名スカウトは2021年12月、85歳でこの世を去った。歯に衣着せぬあの物言いが今でも懐かしい。
「眼鏡の捕手は大成しない」
常識を覆した古田指名の舞台裏
その大先輩がいくつも教えてくれた秘話の中で、今なお印象に残っているのは、1989年(平成元年)のドラフト2位、後に平成の名捕手となるヤクルト・古田敦也の指名を片岡が決断したという“瞬間”のことだった。