その片岡の目の前で、古田は“アマ・ラスト打席”に本塁打を放った。
「ええ選手っていうのは、そういうもんなんや。何かあるんや」
その後の活躍は、改めて言うまでもないだろう。プロ2年目の1991年、捕手としてセ・リーグ初の首位打者。現役時代、盗塁阻止率がリーグトップだったのは10度。通算2千本安打を達成し、2006年からの2年間はプレーイング・マネジャーも務めた。野村政権9年間で4度のリーグV、3度の日本一は、眼鏡の捕手・古田なくしてあり得なかった。
自分の勘だけではなく
数字の裏付けも取る永井スカウト
あの時の古田が醸し出していた「大物感」や「勝負強さ」のようなものは、当然のことながら、数字やデータで表されるものではない。
片岡のように、それを感じ取れる「勘」であり、それを見抜く「目」を持つ者たちが、いいスカウトだと言われ続けてきた。
そうした目利きたちの「主観」に頼ってきた時代が今、大きく変わりつつある。
「編成育成本部長」兼「スカウト部部長」という重たい2つの肩書を背負い、文字通り、チーム編成の中核を担う永井智浩が、2024年ドラフト1位、神戸弘陵学園高の右腕・村上泰斗の指名決断に至るプロセスを例に、スカウティングの世界における「変革の現状」を説明してくれた。
「答え合わせ、なんですね。数字と僕らの主観との答え合わせをして、それが合わないと1位にはならないですよ。やっぱりそうか、という感じにならないと」

神戸弘陵の監督が明かす
ソフトバンクの“慧眼”
だから、村上の“品定め”へのプロセスも、実に綿密だった。