祖父母たちには、子どもに会わせる前に事情を話して、「孫のことを思って、一度だけ協力してくれ」と懇願すれば、嫌だとは言わないだろうと考えていた。
しかし、状況は変わった。事実調査チームとの面談から1週間ほどして、対外情報調査部の担当副部長から「家族は来ない。君たちが日本に行ってこい」と言われたのだった。
まったくの予想外だった。家族が平壌行きを拒むことはあるにしても、北朝鮮側が「譲歩」して、私たちを日本に行かせるなんて思ってもみなかったのだ。
心臓が高鳴った。20年あまりの間、心のどこかに潜んでいた望郷の念、帰国への願望が一挙に噴出したようでもあった。しかし、かろうじて現実に戻れば、とても手放しで喜べる話ではなかった。やはり子どもたちのことが気になった。
いくら秘密にしても私たちの一時帰国のニュースは、いつかは子どもたちの耳に入る。両親と自分が日本人であることを知った彼らが、反日感情のある北朝鮮社会で絶望せずに生きていけるのだろうか…。
「日本には行きたくない。もとの話と違うじゃないか」と私は幹部に言った。すると、「すでに決まったことだ。1週間ほど行ってきさえすればいい」と諭すように言われた。
日本行きは拒めそうになかった。またしても、私の心のなかのどこかで「よし、日本に行ける」という思いが込みあげてくるのを感じた。すでに私の気持ちは自分でコントロールできない状態になっていたのだ。
北朝鮮に服従するか
子どもを捨てるかの二者択一
さらに驚いたことに、彼らは一時帰国にあたって、子どもを連れていくかどうかと聞いてきた。
「里帰り」となれば、子ども同伴が自然であるし、日本の家族たちも家族ぐるみの帰国を強く求めたはずである。
しかし、北朝鮮側が、「人質」である子どもたちを一緒に行かせるはずがなかった。私たちを再び北朝鮮に来させる、最も大きな担保だったからだ。
幹部の質問に私たちは、「今回は自分たちだけで行く」と答えた。