その答えにおそらく幹部は胸をなでおろしたに違いない。北朝鮮当局は上からの指示で子どもを置いてきたと、私たちに言わせたくなかったはずだ。
今考えると、「子どもを連れて行くか」という質問は私たちに対する「踏み絵」であった可能性が高い。もし私たちが子どもをぜひ連れて帰りたいと即座に答えたら、彼らは何らかの口実をつくって、一時帰国を阻止していたかもしれない。

「交通事故」や「急病」など「不慮の理由」はいくらでもつくることができる。私たちの知らないところで子どもたちに「日本の怖さ」を伝え、彼らに日本行きを拒否させることもありえただろう。
結局、私たちは、子どもたちには「1週間ほど国内旅行に行ってくる」と噓をついて、自分たちだけで日本に帰国することになった。
一時帰国にあたっても、私たちが日本に行ってとるべき言動についての指示が与えられた。まず、「日本に行ったら、北朝鮮の体制宣伝はしなくていい、とにかく戻ってこい」ということだった。
被害者自ら自分を拉致した国について賞賛する姿は、日本人の目には奇異にしか映らず、かえって反発を買うだけだと判断したのだろう。私にとってもありがたい指示だった。
拉致した国を擁護する自分の姿を日本国民に晒したくはなかった。わずかに残っていた「自尊心」を何とか守りたい気持ちだった。