小泉純一郎首相(左)と北朝鮮の金正日総書記(2002年) Photo:SANKEI
2002年、日本への一時帰国が決まった蓮池薫さんだが、北朝鮮当局から強烈な踏み絵を突きつけられたという。家族の命がかかるその問いに、蓮池さんは何を思い、どう答えたのか?20年以上の時を経て明かされる、あまりにも重い、緊迫の瞬間に迫る。※本稿は、蓮池 薫『日本人拉致』(岩波書店)の一部を抜粋・編集したものです。
拉致被害者が寝返ることを
心底恐れていた北朝鮮
チェ(編集部注/チェ・スンチョル。対外情報調査部員。もとは対日工作員で、蓮池薫夫妻を拉致した張本人)のラジオから流れるNHKニュースは、小泉訪朝のニュースで持ち切りだった。もっぱら拉致問題がどうなるかという内容だった。
チェは、すかさず私たちに「党の立場」を吹き込んだ。
日本には拉致問題と関連して、「家族会」や「救う会」(「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」)という日朝国交正常化を阻む「やっかいな団体」があり、我々は彼らを「警戒」し、「対決」していかなければならないということだった。特に家族会については、その事務局長が私の兄であり、両親も会員であることに「配慮」することなく、厳しい口調でなじっていた。
それを私は複雑な思いで聞いていた。日本にいる拉致被害者の家族の気持ちは痛いほどわかった。
だが、北朝鮮の多くの人たちが大きな期待をかけている日朝国交正常化に、「支障を来す」ようなことはよくないと思うようにもなった。
この時チェに吹き込まれた、「悪い印象」が日本に帰国後、私たちが家族会の方々に不誠実な態度を見せてしまった1つの要因になったのかもしれない。







