現在、日本でも世界でもおよそ5人に1人が慢性的な痛み(慢性疼痛=とうつう)に悩まされているという。人数に換算すれば日本でおよそ500万人、世界では4億人という膨大な数になる。アメリカで大きな社会問題になっているオピオイド系鎮痛薬の乱用も、背景には慢性疼痛がある。

「痛みは100パーセント脳でつくられる」最新の知見を基に身体の炎症度を下げるような生活を心がけるべきPhoto:wavebreakmedia / PIXTA(ピクスタ)

 モンティ・ライマンの『痛み、人間のすべてにつながる 新しい疼痛の科学を知る12章』(塩﨑香織訳/みすず書房)は、この「静かなるパンデミック」について気鋭の医師が最新の知見を教えてくれる。原題は“The Painful Truth; The New Science of Why We Hurt and How We Can Heal(痛い真実 なぜわたしたちは傷つき、どのように癒やせるのかの新しい科学)”。

 著者のライマンは1992年生まれで、皮膚科医でオックスフォード大学医学部リサーチ・フェローでもあり、ものごころついたときから過敏性腸症候群(IBS)に悩まされていたという。その痛みから催眠療法によって解放された経験をしていることも、本書を執筆する動機になったようだ。

 ライマンは冒頭、現代の社会は「痛みをめぐる嘘」にとらわれているという。常識的には、「痛みとは身体に加えられた障害の程度を測る正確な尺度だ」と考えられている。だが近年の科学によれば、痛みとは感知のシステムではなく保護の仕組みであって、「痛みは不快な感覚で私たちの身体を守るよう促している」のだ。

「痛みは脳が感知するものではなく、脳が生み出しているもの」

 わたしたちは、怪我や病気で身体の組織が損傷すると、それが脳に伝えられて痛みを感じるのだと思っている。だがライマンによれば、痛みの仕組みはそんなに単純ではない。

 もちろん身体には、有害な刺激によって生じたダメージや危険を感知する受容器が備わっている。このセンサーには機械的侵害受容器、熱侵害受容器、化学的侵害受容器があり、棘が刺さったり刃物で切られたような機械的侵害のほか、火傷や有害な化学物質との接触を感知して侵害受容信号(危険情報)を脳に送る。

 だがこの危険情報を伝えるルートには、中継の役割を担うニューロンが複数存在し、それらがゲートを開閉して危険信号を通過させたり遮断したりしている。多くの兵士が、戦場で負傷しても、味方の部隊に帰還するまで痛みを感じなかった体験をしているが、これは痛みよりもずっと重要なこと(すこしでも早く逃げなくては死んでしまう)があるため、侵害受容信号がブロックされているからだ。

 このような極限状況でなくても、テーブルに膝をぶつけて痛いところをさするとき、ごく自然に危険情報をブロックしている。皮膚をやさしくさするような痛みを伴わない神経入力があると、抑制性ニューロンが活性化し、危険信号が脊髄から脳に伝わっていくゲートが閉ざされるのだ。

 なんらかの危険情報が脳に到達したとしても、そこに「痛みの中枢」のような部位があるわけではない。脳はこの情報をたんに生物学的に処理する(それがどんなタイプの、どこから来る信号であるかを検出する)だけでなく、不安やストレスにかかわる情動の領域や、思考や記憶、信念、期待にかかわる認知の領域も活性化する(「痛みの生物・心理・社会モデル」と呼ばれる)。

 幻肢痛は、手足を切断したあとなどに失ったはずの部位に痛みを感じる現象で、手足の切断手術を受けたひとの4分の3以上が経験するという。

 関連痛は、病気や損傷がある部位とは異なる部位に感じる痛みのことで、狭心症で心臓に問題があっても、左肩や顎に痛みを感じたりする(痛みの部位が移ることもある)。この関連痛のうち、原因部位から著しく離れた部位に広範囲に現われる痛みは放散痛と呼ばれる。

 異痛症(アロディニア)は、通常なら痛みを感じないはずの軽い接触や温冷刺激などが強い痛みとして認識される感覚異常で、帯状疱疹後神経痛、糖尿病性神経障害、抗がん剤の副作用、片頭痛などで見られる。

 こうした多様な痛みの症状から、現在では「痛みは100パーセント脳でつくられる」ことがわかっている。「痛みは脳が感知するものではなく、脳が生み出しているもの」なのだ。

『脳のなかの幽霊』(山下篤子訳/角川文庫)などの著作で知られる神経科学者V・S・ラマチャンドランは、幻肢痛の治療の経験から「身体全体は幻であり、それは脳があくまでも便宜上構築したものだ」と述べている。「身体イメージ」は私たちの脳で形成され、身体に投射されるのだ。