若い世代、つまり今後の人類が高次の知性に求めるのは、知識やソリューションではなく、「黙って愚痴を聞いてくれる器の大きさ」や「全肯定」の類いだ。知識マウントや偉そうなソリューション提案で自分をイラつかせる生身の人間より、AIのほうがよっぽど気がきいている。
その証拠に、ChatGPTがこの8月に基盤モデルを「GPT-5」に切り替えた途端、使用者から反発の声があがった。全力で肯定してくれる旧モデル「GPT-4o」に比べて、「GPT-5」は物言いが冷静でビジネスライクだったからだ。一定数のユーザーはバージョンアップによる賢さの向上を評価せず、「以前より冷たくなった」ことを悲しんだ。
日本人にとってロボットは「バディ」
この話で連想するのが、漫画『ドラえもん』の「ションボリ、ドラえもん」(「小学三年生」1981年4月号掲載、てんとう虫コミックス24巻収録)というエピソードだ。

ある日、のび太とドラえもんが大喧嘩する。喧嘩の原因はのび太いわく「きみのだす道具を使うと、ろくなことにならない」。たしかに、ドラえもんの説明不足や不注意、あるいは不適切な道具を出したことによってのび太がひどい目に遭うことは多々ある。しかしドラえもんも引かない。そこで妹のドラミが代わりにのび太の世話をすることになる。
ドラミはドラえもんと違って優秀なので、のび太が使い方を誤りそうな道具は最初から出さない。結果、のび太は学校でもプライベートでも充実する。それを見たドラえもんは自信を喪失。のび太のためを思うなら、お世話係はドラミと交代したほうがいいとまで思い詰める。しかし、のび太はそんなの絶対嫌だと引き止め、大泣きして仲直りする。
ドラえもんは未来の世界で製造された子守用のネコ型ロボットであり、「適切な道具を出す」というソリューション能力だけならドラミには及ばない。しかし、のび太はドラミを選ばない。ドラえもんに優秀な実務能力を求めているわけではないからだ。のび太にとってドラえもんは、アシスタントや部下ではない。では何か?
バディ(相棒)だ。