シンガポール国立大学(NUS)リー・クアンユー公共政策大学院の「アジア地政学プログラム」は、日本や東南アジアで活躍するビジネスリーダーや官僚などが多数参加する超人気講座。同講座を主宰する田村耕太郎氏の最新刊、『君はなぜ学ばないのか?』(ダイヤモンド社)は、その人気講座のエッセンスと精神を凝縮した一冊。私たちは今、世界が大きく変わろうとする歴史的な大転換点に直面しています。激変の時代を生き抜くために不可欠な「学び」とは何か? 本連載では、この激変の時代を楽しく幸せにたくましく生き抜くためのマインドセットと、具体的な学びの内容について、同書から抜粋・編集してお届けします。
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人間は「気持ちよくダマされたい生き物」
ナラティブ(物語)を信じる人間のサガを最もうまく利用しているのが、欧州のラグジュアリーブランドである。ビジネスを設計するときでも大事なのは、「ナラティブ(物語)作り」である。
ブランドが持つナラティブを多くの人が信じ込むように造り込んでおけば、忠誠心ある顧客を獲得できる。
2024年7月、「ビジネスインサイダー」が、ラグジュアリーブランドの製造原価をすっぱ抜いて、世界的な話題になったことがあった。
世界的な高級ファッションブランド「ディオール」の約2780ドル(約44万9100円)のバッグについて、製造業者に支払われている代金が57ドル(約9200円、原材料費を含まない)であり、同じくジョルジオ アルマーニの1900ドル(約30万6000円)以上するバッグについて、その代金が99ドル(約1万6000円)だと報じたのだ。
つまり、上記のディオールのバッグの製造業者に支払われているコストは約2%、アルマーニのそれは約5%である。
また、私は高級時計を扱っている人から、スイスの何百万円、何千万円する超高級時計のムーブメントの原価を聞いてたまげたことがある。
でも、これらのラグジュアリーブランドの根強いファンは、このようなことにはもう当たり前に気づいていると思う。それでも並んだり、予約したりして、こういうバッグや時計を買っているのだ。
しかし、そもそも、こういう価格が付く背景にある、練り上げられたナラティブが素晴らしい。
つまり、人間は「気持ちよくダマされたい生き物」なのだ。
資本主義も民主主義も
ナラティブそのもの
2024年に日本で新一万円札が誕生した。世界的に新札が誕生するのは珍しい。
キャッシュ好きな日本国民だけのことはある。ちなみに、一万円札の製造コストは約27円と言われる。
私は国会議員時代に日銀を視察し、古くなって処分される一万円札がシュレッダーにかけられているのを見たことがある。細かく裁断された一万円札のかけらが透明なボールペンの中に詰められ、面白いボールペンとしてお土産にされていた。
27円のコストのモノを一万円として信じるということは、ラグジュアリーブランドより一桁価値が低いものを、我々はありがたく信じて使っているのだ。
これも、通貨というナラティブを信じているからである。特に、紙幣には貴金属などは含まれないので、ナラティブそのものと言える。
もっと言えば、資本主義そのものがナラティブである。市場に神の手があると思っている。株価など会社の解散価値を超えた部分は、経営者の言い分をナラティブとして信じているわけだ。
民主主義もそうだ。過去の帝国も動物の世界も弱肉強食で、腕力でリーダーが決まる。
それに対して、民主主義は候補者や政党のナラティブを信じて、選挙というスキームで、我々の税金の使い道や戦争を含めた外交安全保障を牛耳る国家という、これまたナラティブそのものの未来を託す人を選び任せるのだから。
もちろん、通貨も政治家も信頼を失い、人々がそのナラティブを信じなくなれば、通貨の価値は暴落しお札は紙切れとなり、リーダーは引きずりおろされ無惨な最期を迎える。そういう事例は、人類の歴史で枚挙にいとまがない。
人は「自分の信じたいものを信じる」
高齢者を狙ってダマす詐欺も、巧妙に仕組まれて完全にダマされたものもあれば、高齢者も、うすうすダマされているかもしれないと感じていた事例もあるという。
孤独な自分の話し相手になってくれたり、連絡が途切れている自分の息子が連絡してくれていると思い込むことによって満たされるので、ついつい電話に出たり、お金を振り込んだりしているらしい。
銀座のクラブや新宿のホストクラブに足しげく通う男女も、そういう意味では、同じだろう。
ナラティブを信じることは、「確証バイアス」と同じ心理的メカニズムを持つ場合がある。「自分の信じたいものを本当であると思い込もうとする」という意味だ。
人間は怠惰であり、常に思考や探求ばかりしていられなくて、一種のリフレッシュが必要なときがある。
どこかで思考停止して、「気持ちよくダマされたい」と思うのだ。これが人間のサガであり、人間の強みにも弱みにもなる。
集団の中で多くの人が同じ確証バイアスを持っている場合のことを、「そのナラティブを信じている状態」という。
しかし、どこかでそのナラティブが信用を無くすと、音を立ててそのナラティブは崩れていく。ナラティブを練りこんでナラティブを信じさせている主体も、そこに気づかないと、失った信用を取り戻すのは大変だ。
政治家でいえば、一時、演説のうまさで多くの人を引き付けたが、そのパターンが飽きられ、その割に内容を感じなくて、人が離れていった小泉進次郎氏やバラク・オバマ氏がそうなのかもしれない。
ナラティブが飽きられ、信用を失ったかのように見られながらも、盛り返してきた事例としては、ドナルド・トランプ氏がある。
(本稿は『君はなぜ学ばないのか?』の一部を抜粋・編集したものです)
シンガポール国立大学リー・クアンユー公共政策大学院 兼任教授、カリフォルニア大学サンディエゴ校グローバル・リーダーシップ・インスティテュート フェロー、一橋ビジネススクール 客員教授(2022~2026年)。元参議院議員。早稲田大学卒業後、慶應義塾大学大学院(MBA)、デューク大学法律大学院、イェール大学大学院修了。オックスフォード大学AMPおよび東京大学EMP修了。山一證券にてM&A仲介業務に従事。米国留学を経て大阪日日新聞社社長。2002年に初当選し、2010年まで参議院議員。第一次安倍内閣で内閣府大臣政務官(経済・財政、金融、再チャレンジ、地方分権)を務めた。
2010年イェール大学フェロー、2011年ハーバード大学リサーチアソシエイト、世界で最も多くのノーベル賞受賞者(29名)を輩出したシンクタンク「ランド研究所」で当時唯一の日本人研究員となる。2012年、日本人政治家で初めてハーバードビジネススクールのケース(事例)の主人公となる。ミルケン・インスティテュート 前アジアフェロー。
2014年より、シンガポール国立大学リー・クアンユー公共政策大学院兼任教授としてビジネスパーソン向け「アジア地政学プログラム」を運営し、25期にわたり600名を超えるビジネスリーダーたちが修了。2022年よりカリフォルニア大学サンディエゴ校においても「アメリカ地政学プログラム」を主宰。
CNBCコメンテーター、世界最大のインド系インターナショナルスクールGIISのアドバイザリー・ボードメンバー。米国、シンガポール、イスラエル、アフリカのベンチャーキャピタルのリミテッド・パートナーを務める。OpenAI、Scale AI、SpaceX、Neuralink等、70社以上の世界のテクノロジースタートアップに投資する個人投資家でもある。シリーズ累計91万部突破のベストセラー『頭に来てもアホとは戦うな!』など著書多数。




