一緒に受付を任されていた、1年後輩の諏訪君が小声で聞いてきた。諏訪君は私と共に、寺川支店長から実現不可能な売り上げ目標を掲げられ、毎日のように恫喝を受けていた。まだパワハラという言葉がなかった時代の話だ。この辺りのことは拙著『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』に詳しく記してある。

「取引なんかあるわけないじゃないか。何十年攻めても攻略できない難攻不落のA興産だぜ?なんでまた、うちのパーティーに来てるんだ?」

 A興産は県内トップシェアを誇るガソリンスタンドチェーンであり、店舗網は九州全体に拡大していた。何度も真っ向から本社受付を訪れたが、けんもほろろに門前払いをくらっていた。

「今日、ここに来ている会社の半分は取引ないぞ。あっても預金口座があるくらいだろう」

 お出迎えをしていた青田支店長が、横から割り込んできた。寺川支店長の後任であり、私のことを気にかけてくれていた。

「うちは明治時代からやってるから、義理固いここいらの社長さんたちは、取引がなくても後援会だけは来てくださるんだ」

 顧客交流会の正式名称は「宮崎中央支店後援会」。当時の取引先が発起人となり、明治時代から戦時中を除き100年にわたり続いている。

 その間、取引先が代替わりし、廃業したところもあれば、業種や規模を変えたところもある。宮崎中央支店の支店長も30人以上が入れ替わった。

足を向けて寝られん…
A興産社長が語った「恩義」

 後援会の宴は後援会長の祝辞から始まり、この日のためにわざわざ東京から駆けつけたM銀行常務が頭取の挨拶を代読し、後援会副会長の乾杯の発声で、宴が始まった。

 ふと諏訪君を見やると、A興産の社長に食らいついている。新規開拓の先鋒を担う私が、3年通い詰めても融資取引を始める糸口すら見つけられなかったA興産の社長がそこにいる。

 1年後輩ながら、彼に感心していた。怖いものなしの無鉄砲なところは見習わなければならない。千載一遇のチャンスだ。

「社長!毎年このパーティーに出席されていると聞きました。なんでですか?」

「うちは明治の創業じゃが、そん時から御行のお世話んなっちょって。この会は何がなんでん出んならんと先代から言われたっちゃが」

「そうだったんですか。御社だったら九州にとどまらず関西や関東にだって進出できますよね。その時には私どもがお役に立てると思うんですが…」