1975年、28歳で「モンベル」を創業して、将来の事業計画をイメージしたとき、「会社を存続させるには、社員の平均年齢を若く保つために常に若者を迎え入れなければならない。社員が高齢化すると固定費が増えるだけでなく、会社の活力が失われ競争力が落ちる」と考えました。
社員を増やすということは、企業規模を大きくしなければならない。すなわち、右肩上がりの事業拡大経営を覚悟しました。
つまり、事業を拡大するために人を増やすのではなく、人を増やすために事業を拡大しなければならないことに気づいたのです。
規模を拡大するといっても、「どこまで」大きくすればいいのか。私は、次のように市場の可能性をイメージしました。
・いつまで:30年間
20代で入社した社員が30年後に50代となり、世代循環のサイクルがひと回りする。
・どこまで:年商100億円の可能性
当時の登山用品市場の規模(500億円程度)のおよそ2割程度の可能性。
「30年後、年商100億円程度を目安に事業を進める」というイメージです。
もし、日本の登山用品市場にポテンシャルがなかったとしたら、対応方法として考えられるのは、ひとつには、ジャンルの拡大。登山用品だけでなく、テニス、サッカー、野球など、スポーツ全般に商材を広げる。
もうひとつの方法は、販売地域を拡大する。
国内市場に限界があるのなら、販売地域を海外に広げればいい。国内の売上が60億円だとしたら、20億円はアメリカ、残りの20億円はヨーロッパで売り上げる形にすればいい。極めて単純な発想でした。
そもそも、「山に関わる仕事を生業にしたい」と考えて起業したのですから、他のジャンルへの拡大は本意ではありません。
そこで「得意な山の分野に特化して、市場規模を拡大する」ことにしました。私はこれを「小さな世界戦略」と名付けました。
創業3年目、社員は5人。国内でのビジネス基盤が固まっていない段階で海外進出を仕掛けたのは、会社を存続させるためのリスク対策でもあったのです。