「黒子的ビジネス」へと移行
ソニーが見据える「勝ち筋」とは

 最近、ソニーブランドやソニーロゴを見る機会が減少したように感じるかもしれない。事実そうなのだろう。それはソニーのビジネスが、よりオープンプラットフォームの中で様々な企業と手を組んで黒子的に動くことが多くなったからなのだろう。

 事業は好調だが、最近のソニーには「ソニーらしさ」が失われているのではないかとの指摘がある。しかし、『国宝』におけるアニプレックスのリスクの取り方は、いかにもソニーらしい。ただし、かつてのソニーのようになんでも自社内で閉じて垂直統合的なビジネスを行うのではなく、よりオープンな環境の中でリスクを減らし、利益を最大化する新たな戦略を取り入れている。それが「ソニーらしさ」の薄らぎと映るのかもしれない。しかし、「ソニーらしさ」という郷愁に囚われて戦略が硬直化することは、ビジネス上得策とは言えない。

 よく言われる話だが、ソニーのスマホビジネスは好調とは言えないものの、世界のスマホの2台のうち1台にはソニー製のCMOSイメージセンサーが入っている。これもソニーが黒子的になったビジネスの成功事例の1つだ。このイメージセンサービジネスはソニーが初めて部品の外販を行ったビジネスでもある。

 ソニーのイメージセンサーの開発と外販ビジネスの推進を行ったのは、ソニー4代目の社長であった岩間和夫氏だ。岩間氏は、ソニーが半導体を使ってラジオを作ろうとしたときにアメリカから半導体に関する『岩間レポート』という報告書を本社に送り、それがソニーの半導体開発の成功に繋がったことでも知られる。ソニーで半導体のことをよく知っていた経営者だった。

 半導体は莫大な固定費を伴い規模の経済性が効くビジネスである。自社で使うためにイメージセンサーを開発するだけでは、規模の経済性が効く半導体事業では勝ち残れない。そこで、積極的に自社製イメージセンサーの外販を積極的に行ったのである。自社で作った優れた技術は自社で囲い込んで製品化するというのが当たり前だった1970~80年代に、外販を始めたのが岩間氏だった。

 1958年にソニーが東京通信工業からソニー株式会社に社名変更したのも、ソニー電子のようにソニーの事業がエレクトロニクスだけに限定されないようにしたのが理由と言われている。今日、エレクトロニクスだけでなくエンタテインメントを主力のビジネスとしながら、やりたい人が手を挙げてリスクを取って新しいことをするという従来からのソニーらしさを踏襲しつつ、オープンな環境の中でリスクを分散する新たなマネジメントスタイルを取り入れている。

 新しいビジネスに新しいマネジメントを取り入れる今日のソニー姿こそが「ソニーらしさ」そのものなのではないだろうか。

(早稲田大学大学院 経営管理研究科 教授 長内 厚)