アンドリーセンによれば、テクノ=オプティミストは、泳ぎ続けないと酸素が足りなくなって死んでしまうサメのように、成長しつづけるか、さもなければ死ぬしかない。成長は進歩であり、活力、生の拡充、知識の増大、より高い良き生をもたらす。成長しないということは、そこにあるのは停滞であり、ゼロサム的な思考、内紛、劣化、堕落、そして究極的には死に至る。

 そして、成長の源泉は3つしかないとアンドリーセンは言う。人口の増加、天然資源の活用、テクノロジーである。

欲望とテックが生み出す
終わりなき上昇スパイラル

 人間の欲求とニーズには際限がないが、起業家たちはそれらを満たすために、膨大な労働力や機械を用いて新しい財とサービスを生み出してきた。

 このような上昇のスパイラルは、資本主義を批判する共産主義者、あるいは機械に不信感をぶつけるラッダイト運動といった勢力からの非難や攻撃にさらされてきたにもかかわらず、数百年にわたって続いてきたのであり、コロナ禍による一時的な混乱はあれども、最高の賃金、最大の雇用、最高次の物質的な生活水準を生み出してきた。

 このような歴史観に基づいて、アンドリーセンは、この上昇スパイラルが無限に続くよう、人工知能を含めたテクノロジーの発展を意識的かつ意図的に推進していくことを宣言する。

 アンドリーセンの立場は、いわゆる加速主義、より正確には「効果的加速主義(e/acc)(編集部注/e/accとは、Effective Accelerationismの略)」と呼ばれるものである。

 アンドリーセンは、テクノロジーの進歩を生み出す者たちが備えるべきさまざまな価値を列挙している。

 そのなかにはたとえば、野心、勇敢さ、自由な探究、ローカルな知識などが含まれている。さらには、魂の卓越性(アレテー)をつうじた幸福(エウダイモニア)もそこに挙げられており、偉大さ、あるいは真理もまた、われわれが信じるべきものとされている。

 他方で、アンドリーセンがテクノ=オプティミズムの敵として対置するのがさまざまな悪しき観念である。停滞、反能力主義、ステイシズム(安定至上主義)、権威主義、集産主義、あるいは官僚制、規制の掌握、独占、カルテルなどが列挙されている。