「うろこの顔」に込めた楳図かずおの想いとは(c)楳図かずお

ホラー作家として1960年代には第一線で活躍していた楳図かずおは、雑誌『週刊少女フレンド』から突然、戦力外通告を受ける。その後、楳図はどのように方向転換を図ったのか。生前の楳図自身が、漫画家人生として運命の転換点を迎えた時期の仕事ぶりを読売新聞記者に語った。※本稿は、楳図かずお、石田汗太(聞き手)『わたしは楳図かずお―マンガから芸術へ』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです。

編集者から告げられた
衝撃的な一言

「恐怖マンガは、もう、ない」

――「恐怖マンガ」の第1人者となった楳図さんの運命は、1960年代末に大きく変転する。

 1968年の初め頃だったと思います。「週刊少女フレンド」副編集長のNさんが僕に言いました。

「恐怖マンガは、もう、ないと思うんです」

 その時の言葉を思い出して、できるだけ再現するとこうなります。今でも真意がよくわかりません。恐怖マンガは存在しないと言ったのか、恐怖マンガはもう必要ないという意味だったのか……。

 その副編集長は、誠実で真面目な方だったので、僕は何も言い返しませんでした。ただ、自分の描くものが理解されていないことだけは、よくわかりました。

「うろこの顔」から"(c)楳図かずお 拡大画像表示