書記のほとんどは男性であった。読み書き能力は国の高官への道を自力で切り開く術であった。極端な話、勉強ができれば上流階級へと成り上がることができたのだ。それゆえ名声を享受したエリートである書記は、人々の憧れの的であり、称賛を集める存在であった。書記になった人々もそのことは自ら認めており、自身の膝にパピルスの巻物を置きながら、手に筆記用の筆を持ち、あぐらをかいて座る書記特有の姿勢で自身の彫像(下図)を作った。

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世襲だった書記の仕事に
庶民が努力で就けることに
古王国時代(第3~6王朝の時代/前2686~2181年頃)に中央集権体制が確立し、官僚制が整備された時代になると、書記には王の命令を書き留める国の中心にいるような者を頂点に、地方行政の末端まで序列が存在するようになった。古代エジプト社会のなかで書記の役割の重要性が増すにともない、官僚制度が完成したのである。古王国時代に開始された巨大なピラミッド建設事業は、書記を中心とした官僚たちが強力な王権を支えることにより実現したと言えるであろう。
中王国時代(第11・12王朝の時代/前2133~1786年頃)になってこのような官僚制を根底から支えたのは、具体的には旧来の地方貴族に代わって台頭してきた庶民階級出身の官僚たちであった。努力して読み書きを習得さえできれば、書記になる道がさらに開かれたのである。書記は以前にも増して人々にとって身近なものとなり、社会のなかで重要性を帯びるようになった。
もともと書記の職業は、世襲制で父親からその息子へと受け継がれることが多かった。庶民が国家の行政機構のなかに入り込む機会がわずかでも生まれたことは画期的なことであった。