以上の言葉から父親のドゥアケティの息子への愛情と期待、そしてそれ以上の必死さが伝わってくる。たとえ名もなき庶民の子供であったとしても、才能があり、努力して書記になることができたならば、高級官吏にまで出世する道が開かれていたのである。その結果、彼の一族もまた恩恵を受けることになる。親が必死になるのも理解できる。だからこそ賢者ドゥアケティは以下のように語るのだ。

「終了時刻が告げられて、学校が終わっても建物内にある広間に行き、本を読み、内容について議論しなさい」(「ドゥアケティの教訓」より)

 学校の授業が終了した後も自習室に行き、そこで書物を読み、同じ志の友人たちと議論をすることを勧めるのである。それは自らの未来のための糧を得る行為だ。愚者の集まりではなく、賢者を目指す者たちと時間を過ごすことが人生成功の秘訣なのである。

豊富だった食物とビール
古代にも飽食への戒めが

「もしあなたがパンを3個食べて、ビールを2杯飲んでも身体がさらにそれらを欲しがったら、その欲求と闘いなさい。もし他の人がより多くの食物を食べていたとしても、それに合わせることなく、食卓では大人しくしているのです」(「ドゥアケティの教訓」より)

 この格言は単に飲みすぎ食べすぎを戒めたものではない。自分自身をコントロールできるかどうかという自制心の問題を呈しているのだ。その欲求(食欲)と闘うのだ。

 古代エジプト人たちの主食はパンである。ヘロドトスはエジプト人たちを「パン喰い人」と呼んだくらいである。ビールはすべての社会階層で常飲する飲み物であった。硬貨も紙幣もまだ発明されていない時代において、エジプトではパンとビールは現物支給の給与であった。労働者たちはその労働の対価として、パンやビール、そしてタマネギ、ニンニク、レタス、キュウリなどの野菜を国から支給されたのである。