「ノイズ」の意味

 たしかに、日本において「ノイズ」が一般的に意味するところは「耳障りな音。騒音。雑音。特に、電話・ステレオ・テレビ・ラジオなどの電気的雑音」(デジタル大辞泉より)であり、「余計なもの、不要なもの、排除すべきもの」といったニュアンスでネガティブに捉える人がほとんどだろう。

 ただ、原作ものを映像化する場合、クリエイティブの現場で交わされる「ノイズ」という言葉は、少々異なる意味を持つ。「映像化する際に、その原作が最優先で伝えたい主題の伝達効率を低下させてしまう、原作内の要素」「削ったほうが視聴者の幅が広がると予想される、原作内の要素」などのことだ。

 ラーメンに例えるなら、種々雑多な具がそれにあたる。もし調理人の目的が、ひとりでも多くの客に至高の麺とスープだけをとことん味わってもらうことなら、乗せる具は極力少ないほうがいい。味の濃いあぶりチャーシューや高菜やキムチはスープの味を変えてしまう。味を変えないまでも、大量の具で胃が満たされてしまっては麺とスープを十全に味わえない。また、もし具の中に一定数の客が苦手と予想されるクセの強い食材が含まれていた場合、そのラーメンは注文の機会すら失う。これは個々の具が美味しいか不味いかの問題ではない。美味しかろうが不味かろうが、調理人の設定した目的の妨げ(=ノイズ)になるということだ。

「ノイズ」が、あまねくすべてのアニメ制作現場で使われているわけではないだろうが、少なくとも筆者の知り合いのアニメ制作関係者は「使う」と言っていた。

 実は、文筆業を営む筆者も、「ノイズ」を指摘されたことがある。若者の倍速視聴についての分析原稿を書いて編集者に提出したところ、こうダメ出しされたのだ。

「稲田さん、分析そのものは非常に的を射ているんですが、倍速視聴をする人に対する皮肉が余計です。茶目っ気のつもりで書かれたのでしょうが、それは書かなくていい。せっかくの中立的で冷静な分析が、リップサービス的な皮肉によって、説得力が落ちてしまう。端的に言って、もったいない」

 言われてみれば、その通りだった。皮肉が絶対的にダメだということではない。一番伝えたいことをひとりでも多くの読者に伝えたいなら、その皮肉は不要だということだ。筆者は納得し、これに応じた。吉田氏も、同様の判断を下したと思われる。