そのつぶやきには明らかに、そこはかとない違和感が含まれている。外出といえば必ず公共交通機関を使う都市生活者にとって、そこまでラフな格好で家の外に出る人たちは奇異に感じられるのだ。

 しかし地元民にとってショッピングモールは、言ってみれば自宅から一度も「外」に出ないで行ける場所だ。車は自宅の敷地内に駐車してある。移動中の車内には自分もしくは家族しかいないので、事実上は家の中と同じ。到着したショッピングモールの駐車場から建物までの徒歩もモールの敷地内。立体駐車場なら文字通り1秒たりとも屋外に出ることなく、目的の店にたどりつける。

 つまり彼らにとってショッピングモールは、自宅からシームレスにつながった場所。いわば自宅リビングの延長なのだ。

 だからなのか、モール内のフードコートでも、モールに行く途中の駐車場つきファミレスでも、子供たちは騒ぎ放題であり、空気としてもそれが許されている。それにイライラ・モヤモヤしているのは、たまたまそこに迷い込んだ「よそ者」たる都市生活者だけだ。

 話を戻すと、吉田氏がトークショーを行ったホテルの宴会場は、いわば自宅リビングの延長だった。地元民たる「アニメ制作の実際について一定以上の理解がある、もしくは制作についてお金を払って積極的に学ぼうとしている聴衆」の間で、そのトークはなんの問題もなかった。ところが、それが都市生活者たる「よそ者」の目に触れた途端、彼らの間で反発が広がった。「部屋着にサンダルばきで外出するなんて、信じられない!」

地元民の意識と、他所からやってきた都市生活者の視線のギャップ

稲田豊史『ぼくたち、親になる』(太田出版)稲田豊史『ぼくたち、親になる』(太田出版)

 ところで、「炎上」時にX上で飛び交ったポストの中に、「吉田氏が個人的な思想を貫き通すためにこのような改変を行い、それを自分の功績とした」と主張して憤るものがいくつかあったが、先述のアニメ制作関係者はそれを一笑に付す。

「いち脚本家にそんな権限はありません。作品の全体方針が先にあり、脚本家はそれに基づいたオーダーを受けて脚本を書く。脚本の第一稿には監督やプロデューサーなどから様々な意見が寄せられるので、脚本家はそれを整理して次の稿に反映する。そういう作業を繰り返すことによって脚本は完成します。ここに脚本家の独断が入る余地はない。もし入っていれば、それこそが作品の全体方針にとってノイズなので、誰かの指摘によって排除されるでしょう」

 筆者はアニメ制作の現場にいたことがないので、実情は伝聞によって推測するしかない。ただ、長く地域に根を下ろして生活している地元民が、外から突然やってきて腹を立てはじめる都市生活者を、複雑な気分で見ている状況があることだけは、はっきりと察知できた次第である。