話者は目の前の人に合わせて話す
話者というものは、目の前にいる人の属性に合わせ、かつ彼らの反応を見ながら話す内容を調整する。筆者もそうだ。今までさまざまな講演に呼ばれて登壇させてもらったが、仮に同じ演題を求められたとしても、どんな聴衆かによって話し方は変える。否、変えざるをえない。
60代以上の年配層が中心の会場では「今の若者ってこうなんですよ、難しいですね」などと言って同意を誘う。20~30代が中心の会場では「年配層ってSNSの本質を誤解してますよね」などと言って同意を誘う。新聞社やTV局などマスコミが中心なら、「リテラシー」「可読性」「トラフィック」「フィルターバブル」といった言葉を説明なしに使うが、そうではない会場では別の言葉に言い換える。
そのほうが話を聞いてくれるからだ。もっと言えば、ウケがいいからだ。
本コラム執筆時点で、トークの内容がリポート記事化されることについて吉田氏がどの程度了解していたのかはわからない。吉田氏が記事の原稿をチェックしたかどうかも、定かではない。
ただ、もし同じ話題を、誰もが記事を目にする可能性のあるウェブメディアの単独インタビューで振られたら、吉田氏は同じように「ノイズ」という言葉を使うだろうか? 別の言い方をするか、原稿チェックの段階で補足説明を入れてほしいとリクエストするのではないか? 目の前にインタビュアー以外の聴衆がいないなら、そのメディアの読者属性を想像してしゃべるのが普通だろう。
誤解を恐れず言うなら、今回の炎上の本質は「何を言ったか」ではない。「どこで言ったか」だ。ゾーニングの問題である。
ゾーニングの意味は本来、「コンテンツの閲覧を年齢別に区分すること」だが、ここでは「発信者が想定した受信者だけに、その発信が届くこと」まで意味を広げよう。
吉田氏は、その会場にいる人(「ノイズ」の意味を理解する人、あるいは理解に努めようとする人)だけを受信者と(無意識的にせよ)想定していたと思われるが、実際にはそれ以外の人にも届いてしまった。
油断があったと言えばそれまでだが、それなりの金額を払った人だけが来ているコンベンション的性質の強いクローズドな会場で、「ノイズという言葉がここにいない人にもこれほどまでに拡散され、反発を招く」ことを想像できるかと言われれば、筆者には自信がない。これも、さまざまな講演に登壇させてもらった身としての実感だ。
ショッピングモールはリビングの延長
有料トークショーだろうがコンベンションだろうが講演会だろうが、人前でしゃべる際は誰に聞かれてもいいように細心の注意を払うべきだ、という意見には、そうですねとしか言いようがない。
ただ……ここで、唐突だがこんな話をしたい。車でしか行けない立地にある地方のメガショッピングモールに、車を日常の足にしていない都市生活者が帰省や旅行のついでに訪れると、こんな感想が漏れることがある。
「なんか、思いっきり部屋着にサンダルばきみたいな人が歩いてるね……」