「このたび諸君は昭南(日本軍が占領していた当時のシンガポールの改称)の第三航空軍に配属されることになった。これは大本営の命令で、特別任務につくのである。わが部隊としては、特に操縦技術の優秀な者として、諸君を選んだ。任務は重大である。国家のために一命をささげ、航空軍人の本分をつくしてもらいたい」

 河崎伍長には、それがどういう意味かわからなかった。佐藤少佐の表情や口調がいつもと違っているのが感じられた。何か悲痛で、ものものしかった。

 それよりも意外であったのは、命令をうけてからのことであった。この12名は、将校も下士官もいっしょに、将校宿舎に移され、全員が同じ特別の食事となった。河崎伍長と仲のよい横尾伍長は、

「これは変だぞ。おれたちは特攻隊かも知れんぞ」

 と、おちつかない顔をした。

 その夜、大櫃中尉が自分の部屋に全員を集めて、任務を打明けた。自分らは体当り攻撃をするための特別攻撃隊で、と号第三十隊となった、というのだ。と号というのは、特攻隊ということの軍の記号である。河崎伍長は、穴に落ちこむような衝撃を感じた。

特攻隊員になることは暗号係から
聞き出して初めて知った

 大櫃中尉の顔も青ざめているようであった。大櫃中尉は陸軍航空士官学校の56期生であった。この期の生徒は、太平洋戦争中に、戦場で下級指揮官となるための教育を受けた。フィリピンのレイテ作戦に特攻隊が出るようになってから、その隊長になるものが多かった。それが今、明らかに苦悩の色を見せていた。しかし、それには、別の意味もあったようだ。大櫃中尉は、隊員の人選ということに、気持の負担を感じていたのだ。

 河崎伍長は、のちになって知ったが、特攻隊員になる下士官は、この教育飛行隊の各区隊長によって選出された。大櫃中尉は第二区隊長であった。

 特攻隊員になることを命令されたのは、将校の場合も同じであった。それが指名されることを、いち早く知ったのは宮崎彦次少尉であった。彼はそのことを、暗号係の下士官から聞きだした。宮崎少尉は明治大学の学生から特別操縦見習士官の第一期生となった。大櫃隊では先任者(編集部注/各隊において、同階級の者のうち最古参の者)で、副隊長であった。