大櫃隊では、このように、下士官も将校も、特攻隊を志願したのではなかった。

 私はその話から、疑問を感じていた。それは今まで、特攻隊は志願であるようにいわれていたことだ。戦後に私が、元中将で第六航空軍司令官であった菅原道大から聞いた話でも、特攻隊は志願であるということだった。六航軍は、河崎伍長らの振武特攻隊を指揮して、沖縄の特攻作戦をおこなった。また菅原中将は、航空総監、第三航空軍司令官などを歴任した陸軍航空の最高の責任者のひとりである。

陸軍航空のトップは平然と
「多少の強制はあったかも」

 私は志願の問題を確かめるために、改めて手紙で質問したのに対し、菅原元中将は次のような書面をよせてきた。

元来、特攻隊は、戦局がこれを要求し、在フィリピン海軍航空隊の特攻(注、神風特別攻撃隊のこと)と肩をならべて、陸軍でもこれを決行する機運が自然に温醸せられ、意見具申があったように記憶する。それでは、その企図を援助し、これを志願し決行する勇士を選抜して(もちろん、出願者中の適任者を選ぶ)戦地部隊にやり、戦地部隊長の独断として、特攻せしめることを黙認した形式をとった訳なり。従って特攻隊員は、編成さるる時は十分に承知していたはず。陸軍特攻は最後まで志願採用の形式で推移す。部隊内の選出には、多少の強制ありしやは知れざれど。

 以上の文面を要約すれば、特攻隊は戦局に応じて自然におこり、隊員は志願した者であり、体当り攻撃は現地部隊が独断でしたことで、大本営の命令したことではなかったというのだ。この文面と河崎の話のくい違いは“多少の強制”の程度ではない。

 しかし、特攻作戦の責任者のひとりである元将軍は、そう信じているのであろう。だからこそ、特攻隊は真に愛国のための犠牲の行為である、といおうとしたのであろう。そしてまた、それを歴史の事実としようとしているのではなかろうか。

菅原元中将の主張と食い違う
元特攻隊員からの手紙

 志願の問題については、この著者の中島正飛行長(編集部注/海軍の神風特攻隊を作った当事者である中島正は、猪口力平との共著『神風特別攻撃隊』に、特攻隊に関する証言を残している)と共に同じ飛行場にいた操縦者が、私に手紙を送ってきた。福島県郡山市の根本正良である。その手紙の一部に、