六航軍は4月以来、特攻機、延べ1673機を出撃させ、661機を犠牲にした。

 そのほかに、沖縄本島に強行着陸した義烈空挺(くうてい)隊(編集部注/敵航空機と飛行場施設を破壊することを目的とした、特殊部隊。すでに連合軍に占領されていた、沖縄の飛行場を攻撃した)の特攻部隊がある。

 その出撃のたびに、軍司令官菅原道大中将は、激励の訓示をした。

『……特攻隊は、あとからあとからつづく。また、われわれもつづく。……諸士がその覚悟でやる限り、日本は必ず勝つ』

 だが、この特攻作戦には、はじめから勝てる見込みはなかったと、作戦参謀の川元浩中佐はいう。六航軍としては、特攻機によって、敵を倒せないまでも、できるだけの抵抗をして、出血を強要することを考えていた。

降伏決定が知らされ
死に場所を求めて出撃

 鈴木大佐は〈責任をとるべきだ〉と考えていた時、司令部から電話がかかった。それは、第五航空艦隊の司令長官、宇垣纒中将が、大分の航空基地から沖縄に、体当り攻撃に出発したことを伝えてきた。海軍側の特攻隊の司令官である宇垣中将は、降伏決定の通報をうけると、横井俊幸参謀長を招いて、出撃の決意を伝えた。横井は、それを思いとどまらせようとしたが、宇垣中将は承知しなかった。特攻作戦に部下を送ったことに対し、自分も“あとにつづく”誓約を果し、責任をとる覚悟であった。横井と、第十二航空戦隊司令官の城島少将が中止するように懇願すると、宇垣中将もまた、手を合わせてたのんだ。

「死所を与えてくれ。たのむ」

 横井参謀長は、やむなく、艦爆機彗星(すいせい)の準備を命じた。宇垣中将の要求は3機であったが、横井は、長官の出撃をさかんにするために、5機を用意した。宇垣中将が大分飛行場に行くと、9機が出撃準備をととのえ、その前に18名の乗員が、はちまきをして整列していた。宇垣中将がわけをきくと、七〇一空大分派遣隊の中隊長、中津留達雄大尉は、

「いやしくも長官が特攻をかけられるのに、たった5機というのは何事ですか。自分の隊は全機がおともをすることにきめています」

 と、大声に叫んだ。宇垣中将は涙をおさえ、

「みんな、宇垣といっしょに行ってくれるか」

 と、ただすと、18名は「はいっ」と答えて、いっせいに右手を高くあげた。