「静かにしろ」

 高級参謀は大きな声で、しかりつけた。

「お願いに参りました」

 特攻隊員は血走った目を光らせ、激しく興奮していた。口々に、

「今から特攻にださしてください」

「皇軍には降伏はない。勝利か、さもなければ死あるのみです」

「降伏すれば捕虜になります。戦陣訓はどうなりますか。生きて虜囚の辱をうけず(編集部注/1941年、陸軍大臣東条英機が全陸軍に発した『戦陣訓』の一節。敵の捕虜になるのは恥、捕虜になるくらいなら自決すべしを、戦場での心得としていた)」

「菅原軍司令官閣下は、特攻隊の出撃のたびに、あとにつづく者を信じて行け、といわれました。今、やめたら、死んだ者は、犬死じゃないですか」

特攻作戦はそもそも
勝つことが目的ではなかった

 突然、隊員のひとりは、手に握っていた軍刀を引抜いた。隊員たちは鈴木高級参謀を取巻いて、つめよった。

「あれだけ特攻隊を送り出して、このまま降伏ができますか」

 鈴木大佐はおどろかなかった。陸軍士官学校35期生で、第六航空軍にくる前には、第五飛行師団の参謀長として、ビルマにいた。インパール作戦の時、大本営から指導にきた参謀たちの不勉強と無知を怒って、「こんな非常識な作戦に第五飛行師団は絶対に協力しない。大本営に帰って、そう伝えろ」と言明して、師団の飛行部隊をタイ国に後退させた。生来の硬骨である。

「さわぐな」

 大佐は大声でしかりつけ、隊員を外につれだした。司令部の近くには、博多の料亭がきていて、防空壕(ごう)のなかに店があった。そこで酒を飲ませて、なだめたが、彼らは、

「高級参謀殿は命が惜しいのですか」

 と、承知しなかった。理論だけでいえば、降伏の詔勅が出たあとで、特攻機を出撃させるのは、天皇の意志にそむくことだ。しかし、この隊員たちは、六航軍司令官に特攻作戦の責任をとることを要望し、そのために自分らも、ともに死ぬ、というのだ。