新刊『EXPERT 一流はいかにして一流になったのか?』(ロジャー・ニーボン著/御立英史訳、ダイヤモンド社)は、あらゆる分野で「一流」へと至るプロセスを体系的に描き出した一冊です。どんな分野であれ、とある9つのプロセスをたどることで、誰だって一流になれる――医者やパイロット、外科医など30名を超える一流への取材・調査を重ねて、その普遍的な過程を明らかにしています。今回は、イギリス人外科医である著者の世界で最も忙しいと言われる病院での経験を、『EXPERT』本文より抜粋・一部変更してお届けします。(構成/ダイヤモンド社・森遥香)

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世界で最も忙しい病院

南アフリカで過ごした期間の大部分、私はバラグワナス病院、略して「バラ」で働いた。バラはヨハネスブルグ郊外のソウェト(正式名称はサウスウエスト・タウンシップ)にある。当時、ソウェトの人口は一〇〇万人を超えていたが、バラはその唯一の主要病院で、世界で最も忙しい病院の一つだった。アパルトヘイトの時代が終わろうとしていたころで、外傷外科の患者はすべて、文化的背景も言語もまちまちな黒人だった。私にとってはまったく新しい体験だった。

ありとあらゆる種類の外科的問題に対処したが、圧倒的に多かったのは刺されたか撃たれたかの若い男性だった。特に週末が忙しかった。給料を受け取ったヨハネスブルグの移民労働者たちが街に繰り出して酔っ払い、しばしば山刀、ときには銃を持ち出して争ったからだ。過酷な日々の連続で、私は三六時間不眠不休で働くことも珍しくなかった。

もちろん、すべてが暴力沙汰による怪我人ばかりではなかった。高齢者のあいだでは癌のような疾患も多かった(この地域では食道癌が多かった)。穿孔性潰瘍や絞扼性ヘルニアなど、イギリスで見慣れている病状の患者も多かった。逆に、腸チフスのように、本で読んだことはあっても実際には見たことのない病気に出合うこともあった。

仕事の多くは単純な処置の繰り返しだった。感染症対応の手術室で、膿瘍を切開して膿を排出するような軽微な処置を何時間も続けた。だが、自分にいちばん合っていると感じたのは外傷手術だった。

週末のバラは戦場のようだった(数年後に実際に戦場になった)。患者が運び込まれると、直ちにトリアージ〔緊急度に応じた選別〕が行われた。重篤な患者は意識不明で、名前さえわからないことが多く、友人や家族によって身元が確認されるまで、「土曜、X番、身元不明」などと記録された。額に「緊急」と書いた赤いステッカーを貼り、グレーのブランケットで身体を覆って、“外科ピット”に運び込む。そこで医師や看護師が患者の状態を安定させるための処置を行う。当直のチームが状態を評価して一次救命処置を行い、命が危ない傷を負った患者は直ちに手術が行われた。サイモンもそんな一人だった。

(本記事は、ロジャー・ニーボン著『EXPERT 一流はいかにして一流になったのか?』の抜粋記事です。)