「自分が死ねば我が家は絶える」
弟の位牌の前で兄は泣き崩れた
そのような表情をしている理由として思い当たることがある、と津保美さんは、戦死の半年ほど前の昭和19年6月に石井家を襲った不幸について教えてくれた。
一十四さんの下にふたりいた弟のうち、二男は早くに亡くなっていたのだが、三男にあたる末の弟までが家の近くの溜め池に落ちて水死してしまったのだという。
その少し後、一十四さんが自宅に帰ってきた。弟の死は知らせていなかったというのでたまたま休暇で立ち寄ったのだろう、家に上がり、位牌になってしまった弟を見た時の兄の姿を、津保美さんは目撃していた。
《その位牌を見てね、弟が亡くなったことを初めて分かったんですよ。そうしたら、そこの仏壇の前に座って、泣いた泣いた。兄がね。立てなかったですよ、位牌の前でね。
飛行兵になって自分が命を落とすにしても、弟が跡を継いでくれる、弟がおろうという気持ちがあったのが、先に死んだでしょ。泣き崩れて。肩を落としてね。その後ろ姿が今でも焼き付いております。
兄は、そのことを気にしていたんじゃないかと思います。心残りがあったと思いますよ。やっぱり長男だから、家のことを考えたらな。何とも言えん気持ちだったんじゃないかと思いますよ。これも運命よなあ……。》
飛行兵になって自分が命を落とすにしても、弟が跡を継いでくれる、弟がおろうという気持ちがあったのが、先に死んだでしょ。泣き崩れて。肩を落としてね。その後ろ姿が今でも焼き付いております。
兄は、そのことを気にしていたんじゃないかと思います。心残りがあったと思いますよ。やっぱり長男だから、家のことを考えたらな。何とも言えん気持ちだったんじゃないかと思いますよ。これも運命よなあ……。》
『“一億特攻”への道 特攻隊員4000人 生と死の記録』(大島隆之、文藝春秋)
隊員や家族が「国のため」と押し殺した心情を、国民が「国のため」と必死で見て見ぬふりをし、讃え、美化していく。その繰り返しが、「一億特攻」を形作っていくことになる。
私たちがするべきは、予断なく歴史に向き合い、膨大な事実の積み重ねのなかから湧き上がってくる教訓に、真摯に耳を傾け続けることだと思う。
それこそが、命を落とした4000人近い隊員たち、そして、戦争の犠牲となった国内外の無数の人びとの死を無駄にしないことにつながっていくのだと、私は思う。







