
かんぽ生命の不適切営業問題が表面化したことで、それまで多くの人が抱いてきた「身近で親切、信頼できる」というイメージは地に落ちた。2017年春に郵便局に入社後、私はかんぽ営業の現場で何を見て、何を考え、なぜ退職を決断したのか。すべて実体験したありのままの事実を紹介しよう。
※この記事は、半沢直助『かんぽ生命びくびく日記』(三五館シンシャ)の一部を抜粋・編集したものです。登場する人物・団体名は仮名です。
某月某日 がん保険
がんは2人に1人はかかる病気か?
営業マンとして活動し始めて半年、私にはまだ契約を取れていない商品があった。アフラックが扱う「がん保険」だ。
アフラックは、日本で最初にがん保険の販売を始めた会社であり、商品の知名度も抜群*。郵便局はその代理店となっていて、同僚たちはがん保険の販売にも注力していた。
がん保険のノルマはかんぽほど厳しくない。月に1件、おおむねふつうの保険料での契約が獲得できれば達成できる。ただ、毎月そのノルマが付いて回る。ふつうの保険料での契約ならば、1年間で12件こなさなければならない。半年経って
ゼロの私は少し焦り始めていた。
かんぽのアポで訪問したお宅。70代の深沢さんは旦那さんに先立たれてひとり暮らし。時間はたっぷりあるということで雑談に花が咲いた。
「2年前に妹ががんで死んだのよ。うちのお母ちゃんもがんだったから、がん家系*なんだと思うのよ」
深沢さんはがんへの恐怖を語り出した。瞬間的に「おっ、商機かも」と思ってしまう自分がイヤになる。