「うちは名古屋の医師会と提携しているから…」保険代理店の面接で社長が放った強烈なウソと真実【転職失敗談、40代男性】写真はイメージです Photo:PIXTA

新卒で入行した都市銀行を退社後、地元の地方銀行、信用金庫を経て、乗合保険代理店に勤務したものの、業務内容に不信感を抱き、突発的に離職と相成った。退職を決めたことを伝えると、妻は何も答えずにしばらく沈黙した。「絶句」というやつだ――。40歳をすぎて日本郵便に入社する前の顛末も、包み隠さず記しておこう。
※この記事は、半沢直助『かんぽ生命びくびく日記』(三五館シンシャ)の一部を抜粋・編集したものです。登場する人物・団体名は仮名です。

某月某日 話が違う!
乗合保険代理店の実態

 単純に金融商品だけを販売することに物足りなさを覚えていた私は小さな「FP(ファイナンシャルプランナー)事務所」の求人に応募した。金融業界全体にはびこる儲け優先の営業活動ではなく、お客のことを考えた業務をしたかった。

 この会社は「投資の相談をメインとする一方、生命保険や損害保険の販売も行なっている」と謳っていた。ここならば、本当にお客のためになる営業活動ができるのではないか。そんな期待を胸に、社長との面接に臨んだ。

 面接はフランクな感じで進んだ。具体的な業務内容を質問すると社長はこう説明した。

「うちは名古屋の医師会と提携しています。半沢さんには医師会から紹介を受けたドクターのところに保険を提案しに行っていただきます。お客さまの意思に反するような提案はしない。それがうちのモットーですから、半沢さんの思いにも合致するはずです。ぜひ銀行での経験を存分に活かして、うちで大活躍してくださいよ」

 社長は大学卒業後、外資系保険会社に入社。数々の表彰*を受けるなど成果をあげたものの同社での活動に限界を感じ、紆余曲折を経てこの会社を立ち上げたらしい。そんな経歴も話してくれ、彼の生き方にも共感した。

 医師会から紹介された医者へのアプローチなら、押しつけのような営業にはならないだろう。「投資の相談やコンシェルジュ」といったFP的な仕事ではないようだが、銀行での営業経験も活かせる。私は新しい仕事に希望を見いだしていた。

 会社は設立してまだ数年。メンバーは社長、正社員、パート女性の計3名という小規模な陣容だった。私にとって、小さな組織で働くのは初めての経験でそれは不安でもあり、新鮮でもあった。名古屋の中心地から少し外れたところにある小さな雑居ビルの4階にある会社に通い始めた。

 入社すると、まず生命保険募集人資格の勉強に加えて、証券外務員二種試験の勉強に注力した。業務中にそれをさせてもらえるのもありがたかった。試験にも無事に合格して、晴れて「医師会から紹介されたドクターのところに保険の提案に行く」日々が始まると思っていた。