仮に「言語を司る領域はこれ、視覚を司る領域はこれ、聴覚を司る領域はこれ」という具合に脳の部品があったとして、これらの部品を集めて頭蓋骨に収めたら脳になるか。

 いいえ、なりません。自転車と同様、各部品が連動しないことには何ひとつ機能しないでしょう。

脳の機能が相互作用して
心が創発される

 ではその設計図とはどんなもので、いったいそれを描いているのは何なのか、という問題はこの後の項で論じることにしましょう。ともあれ部品を相互に連動させるには、まず、そもそも「どういうものをつくりたいのか」という意志が必要です。

 目的の大部分が生存である動物に比べて人間の目的は複雑ですが、ともあれ、できるだけ多くの情報を獲得し、環境に適応し、ときには移動し、人と関わりながら自分らしく生きていくという大目的がある。

「どういうものをつくりたいのか」といったら、そういうことができる脳をつくりたいわけですね。

 そこで、この大目的に最適なように視覚野ができ、聴覚野ができ、言語野ができ……というふうに脳の機能領域が分かれ、相互にうまく連動するようにしたい。

 こうして、「足で踏んで動く二輪の乗りもの」をつくるために部品を適切に配置するがごとく、脳の設計図ができるというわけです。

 バラバラの部品を単に統合するのではなく、目的を達成するために全体から徐々に機能が分化し、相互作用するようになることで、脳は脳として機能する。

 そこに心の創発が伴ってくると私は考えているのです。

 自転車のペダルは足で踏むと回ります。ペダル自身からしてみれば、「足で踏まれると回る」という機能を発揮しているだけで、自分を含めた各部品が相互に連動して車輪が回って前に進むことなど、知ったことではありません。

 脳も同じです。各脳領域のニューロンが発している電気信号は計測可能ですが、これは心ではなく脳活動です。要は自転車のペダルが回るようなものですね。ニューロン自身からすれば、自分を含めた脳の各領域が相互に連動して心を生み出していることなど、知ったことではありません。