多摩から東大へ!日本一の中高一貫共学校「渋幕」のすべてを知る男が仕掛ける「MI」とは何か幼小中高が同じ構内にある明星(東京・府中市)。ここに2026年、新たに6年間中高一貫コースである「明星Institution中等教育部(MI)」が開設される

開設準備室から足掛け43年間、日本一の中高一貫共学校「渋幕」と共にあり、進路部長として東京大学合格者数を70人以上にまで押し上げる役割を担った男が立ち上げる“MI”とは何か。旧知の教員も参集し、渋幕で培った経験と「出口」志向のカリキュラムにより、東京多摩地区の頂点を目指す。(ダイヤモンド社教育情報、撮影/平野晋子)

井上一紀(いのうえ・かずのり)
明星中学校・高等学校・明星Institution中等教育部校長

井上一紀

1956年東京生まれ。成蹊大学法学部卒業後、一般企業勤務をへて、82年に渋谷教育学園幕張高等学校(86年から中学校も併設)の開校準備室に。83年の高校開校後は社会科教員となる。90年から渋谷幕張シンガポール校の立ち上げに参画、教頭を長く務める。2005年に早稲田大学系属早稲田渋谷シンガポール校の1期生の卒業のタイミングで帰国。渋谷教育学園幕張中学校・高等学校の進路部長を務め、19年から校長補佐も兼務。25年より現職。

ゼロから日本一の中高一貫共学校となった「渋幕」

――東京多摩地区にある学校からの東京大学合格者数は、2025年に66人。その半数近くは私立中高一貫男子校の桐朋と東京都立高校の国立(くにたち)が占めています。残りは都立高校が6人に対して、吉祥女子など私立中高一貫校が16人、立川国際など都立中高一貫校が17人となっています。

井上 多摩でも私立と都立の中高一貫校が実績を上げてきていますね。

――井上先生の古巣である渋谷教育学園幕張(渋幕)は、25年に東大合格者を75人出しました。多摩にある全校の合計よりもだいぶ多い。そんな渋幕のすべてを知る井上先生に今日はじっくりとお話を伺えればと思います。

井上 私が渋幕に入ったのは、高校開校前年の1982年のことでした。校舎は建設中で、プレハブ造りの開設準備室から千葉市内の中学校を中心に生徒募集のパンフレットを配って歩きました。銀座に本社があった上場企業で営業を担当していた3年半の経歴が買われたのかもしれません(笑)。教職課程は修めていましたが、教員試験に合格しても採用がゼロだったりした時代です。そういえば、その昔、住友銀行に勤務されていた田村哲夫校長(現・学園長)は、私のいた会社を担当されていたそうで、とてもご縁を感じました。

――千葉県にある私立校は公立を落ちた子が通う受け皿でした。渋幕ができるとき、塾関係者は「麻布みたいな東京の学校が千葉にできる」と喜んだものです。管理教育で有名な千葉に、自由な雰囲気の共学校が新たに生まれるからと。

井上 訪問先の中学校からは、「何でそんなでかいことを言うのか」とお叱りも受けました。当時の千葉県は公立王国で、旧制中学の伝統的なことが優先されましたが、渋幕は新しい学校でしたので、田村校長の主導のもと生徒のための新しいプログラムや制度が積極的に取り込まれていきました。

 公立と私立の差が授業料の違いなら、そこを補えばいいということで、最初のころは特待生制度を導入して、いい生徒が入って来てくれました。現在も各学年で一定数、特待生が選ばれています。今は、お金というよりも、それが生徒のプライドになっています。

――渋幕で東大合格者が増えていった経緯を教えてください。

井上 最初の東大合格者は、1浪でしたが1期生から出ました。86年は併設した中学校が開校した年ですが、「これで何とかなる」という気持ちを皆持ちました。最初の1人は大事です。6期生からは初めて女子の合格者が出ました。当時の田村哲夫校長は、「10人になるまでが肝心」と常々おっしゃっていました。実際、年に数人は確実に合格するものの、2桁になるまで10年以上かかりました。

――10人から先は、20人、30人と合格実績が伸びるのは早い。

井上 この後は5年周期で合格数は20人、30人と飛躍的に伸びました。学年主任をした27期生が卒業した2012年に49人の合格者が出て、初めて全国ベスト10に入りました。その後、進路部長2年目の17年には76人の合格で全国ベスト5入り、18年には最多の78人が合格をしました。

――生徒募集はどのように推移しましたか

井上 中学校が開校してからは募集範囲が拡大して、県内はもとより、東京は23区だけではなく多摩地区からも、埼玉や神奈川、茨城からも生徒が通うようになりました。中学は、最初120人程度の募集人数から始めて、現在は1学年280人程度まで徐々に増えていきました。高校は逆に募集数が現在ではかなり少なくなりました。

――都内にある東大実績校は、男子校と女子校に分かれますから、共学志向の上位生が集まりますよね。

井上 学園の母体である渋谷女子中学校・高等学校も、1996年に共学化されて渋谷教育学園渋谷(渋渋)となりました。進路部長として、東大に多く入れたいとぶれずに考え続けたことで、渋幕は共学校として東大合格者数全国ベスト10の上位にある学校という評価が広まっていきました。

 学年主任は進路部の経験者というのが一番ですが、学年団の中に進路指導がきちんとできる先生を入れてもらうようにしました。学校としての出口の形をしっかり伝えていくことが大切です。学年主任の手腕が結構影響しますね。

――ライバル校はどこでしたか。

井上 全国ベスト10になってからは、進路部長として、最初は東京学芸大学附属高校を意識していました。ここを超えれば共学校で日本一になれると。

――学芸大附属はその後、落ちていきますね。次はどこを。

井上 近年は、やはり共学の西大和学園(奈良)や日比谷高校、横浜翠嵐高校などの動向が気になっていました。