親の期待や世間体は
自分の課題ではない

 このうち、1つ目の「課題の分離」については、オーストリアの精神科医・心理学者アルフレッド・アドラー(1870~1937)が提唱しています。

 日本では、ベストセラー『嫌われる勇気』で一気に知名度が上がり、「自己啓発の父」ともいわれているアドラーですが、成人してからも身長が150センチメートルと小柄だったこと、母親との関係性があまりよくなかったことなどにコンプレックスを抱いていました。

 そんなアドラーが、著書『人生の意味の心理学』の中でこのように言っています。

「雨が降っていると仮定しよう。何ができるだろう。傘を持っていたり、タクシーに乗れる、でも、雨と闘ったり、負かそうとしても無駄だ」と。

 これは課題の分離について比喩を用いて説明したものです。

 人にはその時々で与えられた自分の課題があるのです。他者の課題をやろうとしても何の意味もありません。

 たとえば、ある学生がA大学に進学したいと考えているとします。

 その理由が「A大学なら、自分が勉強したい分野の最先端の知識が学べるから」というものなら、それは彼自身の課題ですが、理由が「親が望んでいるから」「世間体がいいから」というものなら、それは他者の課題です。

 他者の課題を自分の課題と誤認して選択を行うと、いずれどこかで違和感を覚える可能性が高くなります。

 逆に、自分の課題と他者の課題を分離し、自分の課題に集中できれば、自分にとって本当に重要なことが明確になり、より良い選択ができるようになります。

 自分の課題と他者の課題をある程度分離できるようになったら、次は「自分は何者か」「自分が本当に求めていることは何か」を見つめ直す必要があります。

 哲学思考はまさに、自分を知る最適な方法です。

他人と比較していては
本当の自分を見つけられない

 その際、ドイツの哲学者マックス・シュティルナー(1806~1856)の考え方が参考になるかもしれません。

 シュティルナーは、「自分とは何か」を問い続けた哲学者です。彼は著書『唯一者とその所有』の中で、こんなふうに言っています。

「なるほど、私は他者と類似してはいる。しかし、そのことは比較ないし反省にとって妥当するにすぎない。実際には、私は比較不可能であり唯一的なのだ」と。