奴隷だったエピクテトスは、そうでもしなければ人生が嫌になってしまうことを知っていました。

 人間とは、一見「何もない」と思えるような状況でも、そこに何かを見出したり、時間を有効に使ったりすることができる存在なのです。

希望を叶えるには
余分なものをあきらめる

 なお、困難な状況に置かれたとき、「何もできない」という意味で「あきらめる」という言葉を口にする人は少なくありません。

 しかし、本当に「何もできない」などということがあるのでしょうか。

 そもそも「何もできない」とは、死ぬことを意味します。どのような状況であろうと、生きている限り、私たちには何かができるはずなのです。本来、私たちは何もなくても生きられますし、やれることはたくさんあります。

 ところが、現代の生活は物質的なものに満たされ、多くの人は、それらがなければ生きていけない、生きている価値がないと思ってしまいがちです。

 そのような余分なものをそぎ落としていくことが、本当の意味で「あきらめる」ということなのです。

 そして、「あきらめた」結果、最後に見えてくるのは「自分が生きている」ということです。

 三木清は「希望とは何か」という問いに対して「望みを断念することにある」と答えています。

 一見矛盾するように聞こえますが、希望を持つというのは、本当に大事なものを手に入れるために、余分なものをあきらめる行為です。

「あきらめる」ことの本質は、「やれないことに目を向けるのではなく、やれることに目を向ける」ことにあります。

 たとえば、怪我などによって選手を引退したアスリートが、自分の経験を活かして、ほかの選手のサポートや栄養指導などを行うことがあります。

 それは、選手としてのキャリアをあきらめ、「自分にしかできないこと」に目を向けるからこそできる転換です。つまり、人はあきらめることによって、自分にとって本当に大切なものを知り、必要なものを選択できるようになるのです。