何も信じていない日本人の
神話として機能している存在

 日本人は、もう長らく何も信じなくなっている。

 あえて言うなら「推し」だろうか。いや冗談じゃなく、若者は推しだけは信じている。没入度も支払いの良さも他の対象と一線を画している。

 お金がなくて何もできないと嘆く若者によくよく聞いてみると、推しには結構な額を投じていることは珍しくない。そんなのお金かかるでしょと思うようなライブやグッズにも、なけなしのお金を投じる。

 宗教活動に数万、数十万をつぎ込み、何か言われても「私は幸せになれています」と答える方がいれば、現代日本ではSNSの格好の餌食だろう。でも推し活なら肯定され、メディアも推し活のポジティブな効果をやたらと喧伝する。

 あらゆるものを相対化し個人の意見を矮小化する現代日本において、なぜか推しの尊さだけは絶対的な神話として機能している。なんでかはよくわからないけど、確かなことがある。推しは著しく商業化されており、ビジネスに支配されている。

 Z世代がここまで注目される背景には企業のマーケティングの存在があった。商業やビジネスの力は強大で、若者にも多大な影響を与える。推しビジネスがいかに若者の構造を変容させているかは注目に値する。

 推しはまさに現代の神話と化している。集金能力がとてつもないことは既に証明されつつある。社会を善くしてくれるものであるのかは…。まあ、個人の幸福は高まるらしい。

 ちなみに筆者は優しき宗教者に出会ったことはあるけども、推し活をしているから優しいという方には会ったことがない(少数のサンプルに基づく筆者の感想である)。