少尉から渡された遺品は
本田兵長の手記だった
スコットランド軍には何人かの婦人将校がまじっていた。彼女らは日本兵を使役に使った。どうしたものかカール・マックーニという少尉は、いつも私に当番をいいつけた。休日ごとに私は彼女の自動車に同乗してシンガポールへ行った。
彼女がダンスをしている間、私は自動車の番犬の役目を勤めるのである。時には隊内の個室につれて行かれて、女中代りの仕事をさせられた。その間、彼女は全裸に近い姿でベッドに横たわり、タバコをふかしていた。余りひんぱんにカールに呼ばれるので、私はキャンプ内でひやかされた。しかしカールから頂戴してくるタバコやチョコレートで仲間たちは潤ったのである。
そんな生活が6カ月続いて、日本帰還が決ったのは21年4月のことだった。キャンプ内が喜びでわきたっている時、私はまたもカールから呼ばれた。
「ミスター・イズミ、長い間ありがとう」
この日、少尉は初めて私をミスターと呼んだ。そうして1冊の手帳を取り出して、
「これは死刑囚ホンダが残したものです。日本へ帰るあなたに渡します」
といった。
私はこの手帳を受けとったとき、生きて故国へ帰るよろこびよりも、幾山河をともに戦ってきた戦友のことを思って、暗たんたる気持ちにならざるを得なかった。
死刑を目前に控えても
仲間を慮る優しさが滲み出る
この婦人少尉がどういうわけでこの遺品を持っていたのかは知らない。ただ本田兵長が死刑の最後の瞬間まで手記を書き、それを私に残してくれたことが名状し難い感情となっておそってくるばかりだった。
私は復員船が鹿児島に着くまで、くり返しくり返しこの死刑囚の手記を読みつづけた。それには次のようなことが書かれていたのである。
*
16日18時。夕日の中に番兵のヘルメットが輝いている。刑の執行は明朝ときまった。
20時。身の回りの処理を終わる。フンドシも洗たくしたものと取りかえた。今夜は眠ろうとしても眠ることはできない。2、3人ずつ集まって何やらしゃべっている。なかには笑い声も聞える。日本の軍人らしく、最後まで立派でありたい。







