20時30分。「おい、この世の最後の思い出だ。ゆかいに演芸会を開こうじゃないか」。長島伍長が提案した。みんな手を打って同意した。

 22時。おれも十八番の「赤城の子守唄」をうたった。入れかわり入れかわり舞台に立ったが、もう演芸の種もつきてしまった。知っている限りの流行歌も、民謡もうたった。

 17日0時。大庭上等兵が「夕焼け小焼け」をうたった。彼は歌の途中で、自分の生まれた村の話をした。彼は時々目をとじて、なつかしいふるさとの風景をしのんでいるもようだ。そしてまた声をはり上げてうたう。みんなそれに合わせてうたい出した。誰も泣いている。

 遠い日本の景色や、両親の顔や、小学時代の恩師の顔がチラチラと目の前にうかび上がっては消えて行く。たまらなくなって窓の外に走り出て手を合わせて日本の空を拝んだ。

 自分はこの南海の果てに死んで行くが、どうぞ日本に残った者は末永くしあわせに暮らしてくださいという気持ちでいっぱいになる。みんな同じように星空に向かって合掌している。そしてやっぱり、夕焼け小焼けで日が暮れて、とくり返している。うたっているのか、泣いているのか分らない。

 0時30分。いよいよ歌ううたもなくなった。頭はますますさえている。

平和な世界を願って
最後に杯を交わして死のう

 0時40分。下元兵長の提案。

「われわれは生まれた時と場所とは別々だが、死ぬのは同じ3月17日午前3時だ。あと2時間たつとあの世に生れかわる。この一生を思い返してみるに、われわれは戦争の中に生まれ、戦争の中に育ち、ついに戦争のために死んで行くのだ。もうわずかのいのちだから、この世では何もできないが、せめてあの世へ行ったならば、戦争のない、ほんとうの平和の世界を11人が力を合わせて作ろうではないか。そのためには、今のうちに兄弟の誓いを固めて、死後も互いにはなれることなく、手をつないで三途の川を渡ってゆこうではないか。兄弟の固めのしるしに、互いに杯を交わしたいと思うが、どうだ」