加山さんの筆の使い方、洗い方を見よう見まねで学び、油絵にのめり込むようになった。

 09年から箱根のホテルで1年間、ものまねショーをやった。妻も一緒に来てくれ、週末以外は箱根のホテルで2人で暮らした。夜のショーまでは時間があるので部屋で油絵を描いたり、温泉に入ったりとのんびり過ごしながら、「還暦後はこんな暮らしもいいな」と思った。清水さんの長野の実家は、温泉を引いた露天風呂も完備していた。

 息子3人はすでに独立したので、新宿区に建てた8LDKの一軒家は売った。

 ダウンサイズした家に引っ越し、長野に引っ越す準備を始めた。ところが、移住の提案に、妻はどうしても首を縦に振らなかった。

 清水さんが24歳のときに結婚。仕事で多忙だったが、自分では夫婦仲は悪くないと思っていた。

 移住が嫌な理由を聞くと、妻は「田舎暮らしがしんどい」。東京生まれの東京育ち。友人もいない長野で生活する気持ちにはなれなかった。

田舎暮らしを始めたものの
油絵は1枚も描けなかった

 清水さん夫妻は当時、妻の母親と同居し、孫たちも誕生していた。

「東京で孫たちや母の世話をしたい」「友人たちと移住で離れたくない」と妻は譲らなかった。清水さんも譲らず、13年に「卒婚」の決断に至った。

 一度、言い出したらやらないと気がすまない夫の気性を知っている妻は、反対しなかった。清水さんは古くて広い実家をリフォームし、居間に囲炉裏をこしらえ、14年に移住した。

 ところが、「結論から言うと油絵は1枚も描けなかった」と清水さんは打ち明ける。

 移住した当初は故郷の友人と釣りに行き、囲炉裏で魚を焼き、大自然を満喫した。料理は嫌いじゃなかった。しかし、友人が帰り、1人で後片付けをしていると妙にさみしさがこみ上げた。

 清水さんは洗濯ものを持って、妻のいる東京の家へ夜、車を飛ばして頻繁に帰るようになった。「たまには長野へ来たら」と妻を誘うと、「卒婚にならないじゃないの」と迷惑がられながらも、何度か案内した。