その“れいじ”こと松本零士の父も、また、陸軍航空隊に所属。数々の陸軍戦闘機のテストパイロットなどを務め、大戦末期には「屠龍」に乗っていた名操縦士として知られている。
「信頼し、尊敬する梅田さんのほかならぬ頼み。断るわけにはいかない……」と、当時、連載漫画をいくつも抱えながら、売れっ子漫画家、松本零士は何十枚ものオリジナルのイラストを描き、この本の挿絵として寄せている。
『生還特攻 4人はなぜ逃げなかったのか』(戸津井康之、光文社)
それを知ってか、梅田も「彼が連載で忙しいときにも、『れいじ、発行に間に合わないから早く描いてくれ』と急かしましてね。それでも、『はい、急いで描きますから』と、れいじは素直に挿絵を優先して描いてくれていたんですよ」。そう笑いながらも、感謝の意を込めて梅田はうれしそうに語っていた。
幼いころから松本作品の大ファンで彼の作品を愛読書とし、新聞記者となって念願叶い、東京の松本の自宅兼アトリエで取材したことがある私は、「あの巨匠の松本が……」と想像してしまう。
トレードマークのドクロの刺繍が入った帽子をかぶった松本が、梅田に「れいじ!早く描いてくれ」と急かされ、少し困った顔をしている様子が目に浮かんでくる。
だが、この話をするときの梅田の愉快そうな表情から、いかに2人が強い信頼関係で結ばれていたかが伝わってきた。
松本も、父が所属した陸軍航空隊で、ともに日本を護るために戦った梅田の苦闘の日々を偲び、功績を称え、感謝の思いを込めて尽くしたかったのだろう。







