整備兵でもあった梅田は、「屠龍」へ37ミリ機関砲を取り付けたり、はずしたりする作業を何度も行っていた。

 37ミリ機関砲の性能は知り尽くしている。

 威力は絶大だが、1分間に多くても3発しか発射できないことが、後にも「体当たり」を敢行する「屠龍」が相次いだ一因でもあっただろう。

 そう梅田は分析している。

「もはや銃撃では間に合わない――」

 そう判断した野辺軍曹は双発の馬力が生み出す上昇能力を使い切り、最後にフルスロットルで2つのエンジンの出力を搾り出し、B-29へ体当たりしたのだ。

「屠龍」が万能機だったが故に、こんな悲劇は生まれた。だが、決して悲劇という一言で済まされる話ではないことは誰もが分かっている。

 梅田はこうも語る。

「編隊の前方を飛行するB-29へ体当たりすれば、大型の爆撃機でも2機、同時に撃墜できることを2人は確信していたはず。高高度での『屠龍』の運動性能を熟知する搭乗員ならば……」

 命を懸けて北九州の市民を守った2人を顕彰する慰霊碑が「屠龍」が墜落した同市・折尾の小高い丘の頂上に市民たちの手で建立されている。

 まだ、野辺軍曹は23歳、高木兵長は19歳だった。

“巨大な龍(=敵爆撃機)を屠る”ために開発され、その使命を受け、戦い続けた「屠龍」の搭乗員が、後々まで精鋭揃いといわれ続けた理由は、その優れた機体性能だけからもたらされた戦果ではなかったのだ。

「屠龍」がつないだ
梅田と松本零士の絆

 日本へ帰還後、梅田は兄・幸雄と力を合わせ、東京都内に出版会社を起こし、経営に奔走する。

 その一方で、ニューギニアなど南洋の島々で戦った陸軍航空部隊の元軍人、遺族らを訪ね歩き証言を集め、戦史『幻ニューギニア航空戦の実相』の編集に尽力した。

「本の挿絵は“れいじ”に頼みましてね……」

 梅田が、「れいじ、れいじ」と親しみを込めて何度も口にする、そのフルネームを聞いて驚いた。

“れいじ”とは、劇場版アニメにもなった大ヒット漫画『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』、戦場まんがシリーズなどで知られる人気漫画家、松本零士のことだったのだ。