吉田茂首相の側近として、戦後復興の中心人物であった白洲次郎。1日でも早い日本の復興のため、「売国奴」と呼ばれようとも奔走した彼の生き様をお届けする。※本稿は、別冊宝島編集部『知れば知るほど泣ける白洲次郎』(宝島社)の一部を抜粋・編集したものです。

賄賂がはびこる占領下の貿易庁に
長官として抜擢された白洲次郎

戦後復興の中心人物であった白洲次郎白洲次郎 Photo:JIJI

 第2次吉田内閣を発足させた吉田茂は、商工省の外局である貿易庁長官に白洲次郎を抜擢した。吉田の狙いは2つあった。1つは賄賂がはびこる貿易庁の綱紀粛正である。

 当時、GHQから賄賂の別名として“ボーエキチョー”が使われていたほどだった。それは、GHQ内だけでなく、遠くワシントンでも隠語として認識されていたという。

 占領下の日本の貿易は、自由貿易には程遠い管理貿易だった。そのため、貿易の許可を出す貿易庁には、海外輸出の許可を求めて業者が群がった。飲ませる、食わせるから金品の提供、そして女、あらゆる賄賂で許可を取ろうとした。

 そんな貿易庁の綱紀粛正を次郎は求められた。次郎は金品に興味がない。いや、当時の日本人に次郎の心を動かせるほどの、金品を提供できるものなどいなかったに違いない。

 戦前には、父親からの莫大な仕送りで、イギリスで世界に数台しかないといわれるスポーツカーに乗りオイルボーイとまで言われ、超一流の酒と人々に囲まれた生活をしていた次郎は、日本の業者が提供するものなど、歯牙にもかけなかっただろう。