マッカーサーは貿易庁の長官に白洲次郎がなると知って、非常に歓迎したという。それほど、次郎の正義感は知られていた。
マッカーサーはG2(編集部注/正式名称はGeneral Staff SectionⅡ、GHQ内の参謀部の情報機関)のウィロビーを呼んで次郎の協力をさせている。G2の工作員が貿易庁の役人を調査し、次郎に報告させた。それを知った役人たちは次郎に呼ばれるだけで震え上がったという。
「貿易が先で産業はその次!」
商工省とは真逆だった次郎の意見
貿易庁は終戦直後、商工省の管轄下にできた。商工省は、戦前の統制経済の中核を担っていた省である。戦前は統制経済による国内産業の振興が優先で、輸出は二の次だった。
戦後も、貿易庁は商工省下にできた一部局でしかなかった。商工省の役人たちには、その感覚が染みついている。とても貿易で日本を豊かにしようという発想は生まれない。商工省の考えは、まず国内産業を振興させて、それで技術力を上げる。そして、他国に勝る製品を作って、輸出していこうというものである。まっとうな考え方だが、次郎は違った。
まず、輸出できる製品を作れということだった。世界に勝てる製品を作れるよう輸出産業を育て、それをもとに日本も豊かにするという発想だった。大きな違いは達成できる時間である。
1つ1つ技術を積み上げていったら、いつ最先端に近づくかわからない。最初から最先端に取り組めば、一気にトップに近づくことができる。
現代でいえば、BRICS諸国がガラケーをすっ飛ばしてスマホの開発に取り組むことと同じであり、それで世界の工場になりつつある。
次郎の考えに魅せられ
ミイラ取りがミイラに
この次郎の考えに感化されてしまったのが、貿易庁物資調整課長の永山時雄である。彼は商工省の次官である松田太郎が送り込んだ人物だ。
商工省の連中は貿易庁長官に畑違いの白洲次郎がやってくることで、戦々恐々としていた。商工省が大幅に改革されるのではないかと、役人の直感でわかった。そのために、意志が強く、だれにでもズバズバものが言える永山を次郎のもとに送り込んだ。
「貿易行政が先である。産業行政が先ではない。それでは、いつまでたっても日本の復興はない。そのために組織を変える必要があるんだ」
永山は、熱っぽく話す次郎に、鳥肌が立つ思いがした。こんなに熱い人がいるんだ。ミイラ取りがミイラになってしまった。







