「満州事変に始まるこの戦争」は、15年戦争史観そのものである。
さきほど述べたように、この歴史観は左派的な傾向が強いため、歴史認識問題に詳しいものたちのあいだでは天皇の発言が驚きをもって受け止められた。
しかし、左翼的な視点に立ったとしても、満洲事変以前の日本の大陸進出を軽視してよいのかという問いも生じてくる。
こうした問題意識の広がりから、あの戦争を特定の期間に限定してしまう15年戦争という歴史観は、歴史研究の視野を狭めるものとみなされ、15年戦争という呼称自体も次第に使われなくなりつつある。
「あの戦争」についてまわる
さまざまな呼び名を検証
それに代わって近年急速に定着してきたのが、アジア・太平洋戦争という名称だ。これは、戦場が中国や東南アジアに広がっていたことを踏まえ、従来の太平洋戦争にアジアを付け加えたものである。
この名称は、15年戦争のように時間的な枠組みに縛られることがない。
また、太平洋戦争にたいしてしばしば指摘される「対米戦にばかり焦点が当たり、アジアの戦場が軽視されている」という批判にも対応できる。さらに、大東亜戦争のような右派的なイデオロギー色を帯びた名称を避けられる。
こうした利点から、アジア・太平洋戦争は「政治的に正しい(≒後ろ指をさされにくい)」名称として有力視されているのである。
もっとも、あまりに多用されることで、この呼称の意味が曖昧になってきているという事情もある。
文脈によっては大東亜戦争の代替として用いられることもあれば、15年戦争の言い換えとして使われることもあり、範囲や期間に一貫性が見られない。
戦争の定義を厳密に示す名称というより、あの戦争やさきの大戦といった漠然とした表現を、“固有名詞化”したにすぎないのではないか、という疑念も拭えない。
なお、アジア・太平洋戦争という表記を批判して、中黒を外したアジア太平洋戦争を積極的に使うべきだという意見も存在する。
これは、アジアの戦争と太平洋の戦争が不可分であるにもかかわらず、中黒があることであたかも別個の戦争であるかのような印象を与えてしまうという懸念などにもとづく主張である。ただし、この議論の詳細については、ここでは深入りしない。







