いずれにせよ、呼称をめぐる議論があまりに錯綜しているため、むしろ原点に立ち返り、大東亜戦争という呼称に回帰する、あるいはとりあえず大東亜戦争と呼んでおくのが妥当ではないかとする見解もある。

 近年、研究者のあいだでも大東亜戦争という呼称をあえて使用する動きが見られるのは、こうした複雑な背景を反映している。もはや「大東亜戦争=右翼的」といった単純な構図では語れなくなりつつあるのが、現在の状況なのである。

大東亜戦争を採用する
右でも左でもない根拠

 さいど確認しておこう。あの戦争をどのように位置づけるかは解釈の問題である。歴史は観察者が観察結果に影響を与えてしまう。たんなる事実の羅列はありえない。

 換言すれば、あの戦争の解釈論は、われわれ自身を映し出す鏡でもある。

 右翼と左翼、イデオロギーとメタ・イデオロギー。あの戦争をめぐる議論には、われわれ自身の分断が映し出されている。唯一の解釈がなかなか成り立たないのは、当然のことといわなければならない。

 そこで、最後に筆者であるわたし自身の考えを述べておきたい。

 あの戦争の形式的なはじまりは、1941年12月8日である。だが、実質的なはじまりは、1937年7月7日だと考える。

 日中戦争以降、日本は大陸で長期にわたる戦争状態に突入していた。

 しかし、そのまえには継続的で大規模な軍事衝突はなかった。そのため、戦争名称としては支那事変ではなく日中戦争を採用する。

 いっぽうで、対米英開戦以降の戦争は、日中戦争も含めて大東亜戦争と呼称する。

 戦争名称は、かならずしも当時のものをそのまま採用する必要はない。日清戦争や日露戦争は、当時の正式な呼称ではなかったし、第一次世界大戦も、のちに第二次世界大戦が起こったからこそ名付けられたものだった。

『「あの戦争」は何だったのか』『「あの戦争」は何だったのか』(辻田真佐憲、講談社)

 それでも大東亜戦争を採用するのは、ほかに適当な名称がないからにほかならない。

 大東亜省、大東亜共栄圏、大東亜新秩序などの歴史上の名称が使われるいっぽうで、大東亜戦争だけを忌避する意味も乏しい。

 わたし自身、新聞への短い寄稿などでは太平洋戦争を使うこともあるが、本記事のような長文のなかでは文脈も明らかであり、大東亜戦争を採用するのが適当だろう。

 仲間内の目を気にして、戦争の名称だけ言い訳めいて別のものに置き換える。そんな「空気の支配」こそ、むしろ批判的に検証されるべきだといわねばならない。