行事もみんなで一緒に行い、卒業式では卒業証書の受け取り方や起立のタイミングまで、みんなでそろえます。学校だけは、個性やダイバーシティという言葉が届いていないかのように、「みんな同じ」「みんな一緒」を求めています。

不登校は子どもにとっての
ひとつの「生存戦略」

 さらに大人の場合は、いわゆるブラック企業に入ってしまったとしても、メンタルヘルスが悪化すれば(ときには悪化する前に)、多くの人は会社を辞めていきます。そして周囲の人も、そのような劣悪な労働環境でメンタルヘルスを崩すくらいなら、さっさとやめた方がよいと考え、やめた人を認めてくれる社会に変わっています。

 ですが、学校の場合は、いじめられていても、メンタルヘルスが悪化しても、学校をやめること(学校に行かないこと)を認めてくれる大人は少なく、「我慢しなさい」「がんばりなさい」と言って、学校に行かせようとします。

 このように、子どもたちは、自分で選んでもいない学校で、個性もダイバーシティも無視されて、日々ストレスにさらされ、メンタルヘルスが悪化しそうになっても、学校に行くことを強要されている状態なのです。

 そしてなかには、メンタルヘルスの悪化を誰にも気づかれず、相談もせずに、命を絶ってしまう子どももいるのです(10代の子どもたちの自殺の原因・動機で最も多いのが、「学校問題」です)。

 そのようななかで、「学校が合わない」「学校がつらい」と思い、メンタルヘルスの危機を感じて、意を決して学校に行かないと判断することは、実は健全で適応的な反応なのだといえるでしょう。不登校は子どもにとってひとつの生存戦略です。子どもたちは、生きるために学校に行かないのです。

 生存戦略として学校に行かないことを選択した子どもたち。彼らの心は、きっと清々しく、自宅などで楽しく過ごしているのだろうと思っている人も多いですが、不登校の子どもたちの心はそんな単純なものではありません。