ゼレンスキー大統領が世界に対して義勇兵の呼びかけをしているのを聞いて、これまでの人生について振り返り、このまま見て見ぬふりをしたら死ぬ間際に後悔するのではないかと思ったという。

「これまで犯してきた罪への贖罪の想いもあって、しないで後悔するよりまずは行動しようと」

 インタビュー中に何度も贖罪という言葉を口にするハルさんは、カトリックのクリスチャンだった。『二代目はクリスチャン』は実在したのだ。それでも半年ほど悩んだが、その間も多くの民間人が苦しみ、犠牲になっていることに心を痛め、戦場行きを決断した。

「不安はありました。軍事の経験はないし、言葉も話せない。でも、熱意だけは汲み取ってもらおう、と。もう日本には帰れないなと思いました。自分の命と引き換えに多少でも助かる人がいてくれたらいいなと考えています」

 生まれて初めてパスポートを取得し、3月29日に日本を出国した。ハルさんにとって人生初の海外がウクライナだったのだ。

「脱いだらすごい」は
軍歴より強い

 中継地であるポーランドのワルシャワ空港で、偶然にも義勇兵志望のアメリカ人とイギリス人と知り合いになった。ハルさんよりは年下に見えたそうだ。行動をともにすることになり、4月1日に国境を越えてウクライナ西部のリヴィウにある募集所へと辿り着いた。しかし面接官からは、軍歴が無く言葉が話せなくては入隊を許可できないと言い渡される。

「一緒に来たイギリス人が『彼は経験こそないがハートはある。その証拠に彼の身体を見てくれ!』と服を脱げとジェスチャーをしたので言われた通りにしたら、面接官が『おおお!ヤクザ!!』と驚いて(笑)」

 ハルさんの人助けをしたいという情熱と刺青が功を奏して、そのイギリス人が面倒を見ることを条件に入隊が決まった。

 まずはキーウへ行き、1週間ほど射撃訓練を受けた後にキーウから西に150kmのジトーミルで本格的な軍事訓練を受けた。当時40代後半だったハルさんだが、一緒に訓練を受けるのは、多くが20代、30代の若者だった。

「(体力の面で)当初は私も心配でした。でも、毎日朝から20人で走っていたのですが、僕はいつも5位以内には入ってました。若い子たちはつらそうに途中から歩いていて、“軍隊経験者とはいえ大したことないな。これはイケるかも”と自信を持ったのです」