教室でいつものようにひとりでポツンと席に座っていたとき、(こんな惨めな思いをしているのは、世界で自分だけじゃないか)と涙が出そうになりました。
と、次の瞬間いきなり「ユニークな辛さ」という言葉が降ってきたんです。今自分がしている体験は、なかなか味わえないものだ。だったら、この「ユニークな辛さ」を心から味わっておこう。
これは自分だけの特別な経験だから、いつか人生の宝物になるはずだ。「みんなと違うからこそ価値があるはずだ」。そう思えて、不思議と気持ちが楽になったんです。自分の人生にコンセプトがあれば楽になる、それを初めて痛感したのがこのときでした。
自分に適した形で
世界を解釈しなおす
今振り返ると、「ユニークな辛さ」という言葉を私なりにつくることができたのは、帰国子女として多様な価値観に触れてきたことがきっかけです。
フランスでは公共の場において、後ろの人のためにドアを支えることは常識ですが、日本ではほとんどの方が支えてくれないことに衝撃を受けました。逆にアメリカでは電車の遅延は当たり前ですが、日本では基本的には時刻表通りに電車が来ます。
世界にただ1つの絶対的な常識があるわけではない。そう考えると、仮に目の前の社会が自分にとって居心地の悪いものであれば、自分に適した形で解釈しなおしていい。自然とそういう気持ちになったんです。
「辛さ」とは、普通に考えるとマイナス面しかありません。しかし国が違えば、価値観が異なれば、「辛さ」の解釈だってさまざまあります。たとえば聖書には「悲しむ人々は、幸いである/その人たちは慰められる」とありますが、これはなかなかに衝撃的な一文です。悲しむからこそ、慰められる。ケアされる時間や、誰かとの紐帯が生まれるきっかけになる。
そうであるならば、自分が透明人間化している今だって、光の当て方を変えれば影でなくなるかもしれない。そんな相対的な視点からパッと生まれたのが「ユニークな辛さ」なのです。その言葉がポッと出てきたことで、なんだかホッとしたことを覚えています。この言葉こそが、私と社会のズレを埋めてくれて、「せっかくなら、もっとユニークな辛さを経験してみよう」という風に生き方が変わったのです。







